畠山紘輝(よつば2)畠山智行(同4)畠山千勢(同6)
▽滑川市
松原綾音(西部3)松原克弥(同5)
▽富山市
北山智咲乃(鵜坂4)森川美玖(藤ノ木5)
▽射水市
柴田萌衣(中太閤山4)木村環那(大島5)
▽高岡市
川村美佳、大代千晴(下関3)酒井裡世(定塚3)宮原和真(万葉3)六渡莉咲(牧野4)菖池美里、宮田麻葵(横田4)丸山拓己(成美5)木下実咲(牧野5)大坪夏凜、四間丁樹(木津5)才木環奈(同6)大菅幸夏(福岡6)
▽小矢部市
中川幸花(東部5)
畠山真依(西部2)
▽滑川市
金子舞桜(滑川2)
▽富山市
北川悠貴(大泉1)佐藤彩乃(呉羽2)上田アリス(富山聴覚総合支援2)
▽高岡市
田中翔己(芳野2)
石﨑志埜、河﨑幸成、濱本晴矢(星の杜5)富山羚丸(よつば5)
▽上市町
土肥和夏(上市中央3)
▽富山市
髙森丞志(神明1)岡根実俐(富山大附属2)河井絢音(水橋西部4)竹本慧(富山大附属4)紙谷悠史(藤ノ木5)浅野翔護、浅野結花、林莉帆、林千聖(三郷6)羽生光希(神明6)石井美菜子(山室中部6)
▽射水市
扇一力久(大門2)森田彩楓(歌の森3)新川拓実(小杉3)
▽高岡市
筏井悠生、織田兼、中西小春、橋本怜弥、松田真綾、松原卓努(下関3)氷見凛奈(博労3)村本凛(平米3)小川涼(下関4)丸山陽玄(中田4)芹原沙來(能町4)殿村七海、能登壮太、蓮澤ありさ、湊遥真、宮本健生(牧野4)角田瑛美、門島圭祐、黒川大斗、杉本帆名美、藤森桔平、米澤知花、四津井梓乃(横田4)老田咲愛(川原5)上野和眞、中道香花、福井琥太郎(木津5)川原彩希、間島桃子、山内正人(成美5)前田桃和(伏木5)小竹里奈、高井啓衣、旅家有理紗、出江健人、東大峨(牧野5)石岡輝大、大橋悠生、小峯優空、佐野瑞歩、清水香那、杉本修暉、中村娃心(木津6)竹澤萌袈、中島英里香(国吉6)中沖澪(能町6)
▽砺波市
今井聖也(庄南1)竹端恵佑(庄東1)今井皐月(庄南3)
▽南砺市
脊戸川愛義(福野1)
奥田聖愛、塩井恒輝、鈴村蒼一郎(呉羽1)中川ことみ(南部1)二塚夕輝(藤ノ木1)加藤伶菜、北村妃音(片山学園1)大塚朔弥(呉羽2)大松楓(西部2)酒井絢生(水橋2)
▽高岡市
芹原得吏(志貴野1)藤田裕介(高岡西部3)
舟橋村舟橋小学校2年 當田 峻大(とうだ しゅんた)さん
思いやりちゅう車場
ぼくのおとうとは、車いすにのっています。だから、車いすをのせたり、おろしたりするには、車のまわりにスペースがないと、こまることを知っています。「しょうがい者ちゅう車場があっても、けんこうな人がちゅう車して、本とうにひつようとしている人がつかえないケースが少なくない」と、記じに書いてありました。
どうして、けんこうな人がとめてしまうんだろう。ぼくは、考えました。少しだけならいいと思うのかな、だれも見ていないからいいと、とめてしまうのかな。だけど、それでこまる人がいるのは、やっぱり、かなしいことだと思いました。この記じを読んで、みんながルールをまもることは、とても大切だと思いました。
もう一つ、気になったのは、「しょうがい者ちゅう車場はまだ少ない」と、書いてあったことです。ぼくたちかぞくがしょうがい者ちゅう車場をつかう時、気をつけていることが二つあります。一つ目は、長い間とめないことです。ぼくたちがとめている間に、つぎにとめたい人がくるかもしれないので、用じがおわったら、すぐに出るようにしています。二つ目は、スーパーのように、とめる所がたくさんある時は、入り口からはなれた、あまり車がない所にちゅう車することです。
「おとうとは、かぞくが車いすをおしてい動できるけど、車いすを自分で動かす人、ほじょする人がいない人は大変だからね。そういう人がとめられるようにしているんだよ」
と、おかあさんが教えてくれました。自分たちだけがとめられればそれでいいのではなく、みんながだれかをおもってちゅう車場をつかうことが大切だと、かぞくで話しました。
みんながかかわりあってり用しやすいちゅう車場になってほしいと思いました。
小矢部市石動小学校6年 南野 明宏(みなみの あきひろ)さん
令和の時代も平和な未来を
8月7日、ぼくは新聞の一面に、今年も広島平和式典の記事を見つけました。そして、去年の夏、お父さんといっしょに初めて広島の平和式典に参加したことを思い出しました。
式典では、原爆が落とされた8時15分になると、みんなひばく者へのもくとうをささげました。5万人もの人達(たち)が集まったはずなのに、一瞬にして静かになり、セミの鳴き声しか聞こえないくらいでした。もくとうをしながら、戦争で死んでしまった人達のことを思うと、何だか心が苦しくなったのをおぼえています。
またその時、広島平和記念資料館へ連れて行ってもらったことも思い出しました。戦争で広島に原爆が落とされ罪のない多くの人達が一瞬にして死んでしまったこと、大切な家族が引きさかれてしまったこと、住みなれた家や町がなくなってしまったことなどを知り、戦争は絶対くり返してはいけないと感じたことを思い出しました。
今年も新聞には、ぼくと同じ小学6年生の二人が宣言した「平和への誓い」が書かれてありました。「私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい」「『ありがとう』や『ごめんね』の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること」。そしてさらに心に残ったのは、「自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです」という言葉でした。
そこで、ぼくは平和のために自分ができることについて考えてみました。戦争は国と国とのけんかのような物です。だから、けんかにならないように、それぞれがどういう思いでいるのかを受け止め、理解し、助け合える大きな心をもってだれとでも仲良くなれるようにしていきたいと思いました。まずは家族と仲良くできたら、いつも心が元気でいられるので、学校や地域の人とも明るくできると思います。その輪が広がって国と国とが仲良くできたら、あんなおそろしい戦争は二度と起こらないだろうと思います。
家族で広島の話をした時、ぼくのおじいちゃんのお父さんは戦争で東南アジアのボルネオ島へ行き、死んでしまったことを知りました。おじいちゃんが3才の時だったのでお父さんの顔を知らないと言っていました。また、おばあちゃんのお父さんも戦争でトラック島へ行き病気になったそうです。だけど何とか日本に帰ることができ、その後におばあちゃんが生まれたと聞きました。そんな昭和の時代を一生懸命がんばってきた人達のおかげでぼくの生まれた平成の時代があり、今年は令和元年をむかえました。令和の時代もますます平和が続くよう、明るく仲の良い世の中を作っていきたいです。
富山市呉羽中学校3年 黒田 羽夏(くろだ はな)さん
一人暮らしの祖父と新聞
私の祖父は一人暮らしです。私の自宅から近い所に住んではいますが、両親は仕事があるし、私や兄も学校があるので、頻繁には顔を出せません。そんな状況のなか、祖父が毎日楽しみにしているのが新聞です。テレビのニュースも見るようですが、地元のニュースがより詳しく分かる新聞がいいんだ、と祖父は言います。私の場合は、家に帰れば家族とお互いに色々(いろいろ)な話をするので、そこで得られる情報をもとに学校の友達と話をして楽しむことができますが、祖父は家では話し相手がいません。新聞はそんな祖父の話し相手といってもいいでしょう。今、全国的に時代はどうなっているのかということから、地域の保育園行事や新しいお店のオープン情報まで幅広い話題を提供してくれます。祖父は週に一回の町内の老人会行事を楽しみにしており、参加する時には、新聞から得た情報を話題にして会話を楽しんでいるようです。
そして欠かせないのがお悔やみ欄。一人暮らしになる前はあまり気にしていなかったようですが、祖母が亡くなったときに、たくさんの方がお悔やみ欄を見て葬儀に来てくださったので、自分もそうありたいと、毎日欠かさずチェックしているそうです。お悔やみ欄というのも新聞ならではのものではないでしょうか。
中学生の私は勉強のためということもあり、最近新聞によく目を通すようになりました。祖父に会いに行くときには新聞の記事について盛り上がることも増えたし、高校受験についての記事を切り抜いておいてくれて、「こんながのっとったぞ。頑張らんなんの」と檄(げき)を入れてくれることもあります。
新聞が誰にとっても便利なツールであることは明確ではありますが、一人暮らしの人にとっては最強の武器であり、家族のような安心を与えてくれるものではないかと思います。少子高齢化が進み、一人暮らしのお年寄りの数は年々増加しています。一人で内にこもってしまうのではなく、祖父のように新聞と仲良く過ごして外とのコミュニケーションにつなげていけば、日々の暮らしに潤いができ、生きる力になるのではないでしょうか。
これからは私も祖父の関心のありそうな記事を残しておいて会話を楽しんでいきたいです。
射水市小杉南中学校3年 北林 愛里咲(きたばやし ありさ)さん
学ぶことは未来を切り拓くこと
「勉強の喜びを知った子供たちの目の輝きが何よりの励み」
バングラデシュの農村に学校を建設した夫妻の記事を読んで、私はある子供たちを思い出した。私は父の母国、バングラデシュで生まれ育ち、小学校を卒業するまでダッカにある日本人学校へ通った。その中で、日本のNGOが作ったストリートチルドレンのための学校との交流があり、四十人ほどの子供たちが日本人学校を訪れ、一緒に遊んだ。私は彼らの明るさと快活さ、将来の夢を語る力強さに圧倒された。
国連の調査ではダッカ市内におよそ三十万人のストリートチルドレンが存在し、水や果実売り、荷物運び、ごみ拾い、物乞いなどをしながら路上で生活している。私も外に出れば必ずこのような子供たちを目にしていたので、彼らがどのような背景をもっているかなど深く考えたことがなかった。しかし、ある日、バングラデシュ南部にある父の田舎に遊びに行った帰り、フェリー乗り場で衝撃的な光景を目にし、ストリートチルドレンのことが頭から離れなくなった。ダッカへ出稼ぎに行く何百人もの人々の中に、明らかに両親がいない大勢の子供たちが混じっていた。中には、まだ小学校一年生ぐらいの小さな子供もいた。これらの子供たちが、ダッカでストリートチルドレンと呼ばれ、過酷な生活を送っているという事実に大きなショックを受けた。
家庭の経済的危機をはじめとする様々(さまざま)な問題から、家や村を飛び出した子供たちの半数以上は学校へ行ったことがない。働かなければ生きていけず、将来について考える余裕などないのが現状だ。しかし、NGOなどの支援によって学校へ行き始めた、私が日本人学校で出会ったような子供たちは、勉強することによって自分の将来が拓(ひら)けるだけではなく、家族を支えることもできるのだと知り、それが目の輝きや喜び、自信となって表れていた。
私は中学校への入学と同時に来日し、二年四か月が経(た)った。受験生となり、目の前の試験に追われ、その結果に一喜一憂している。受験への不安から勉強しているが、時には苦痛でしかなくなっている。勉強が楽しくない、でもやらなければならない、という悪循環の中で、私は勉強する意味を見失っていた。しかし、この新聞記事が、私にもう一度バングラデシュの子供たちを思い出させ、勉強する意味を教えてくれた。勉強は、未来を切り拓く最大の武器である。今、一生懸命勉強することによって、自信をもって夢を語ることができるのだ。また、教育を受けることは日本では義務とされているが、世界では当たり前のことではない。日本の社会や家族の支えによって学校へ通えることを感謝し、私もバングラデシュの子供たちに負けないように、将来の夢のために貪欲に勉強を続けていきたい。
氷見市十三中学校3年 中田 侑里(なかだ ゆり)さん
投票に行く?行かない?私の場合
「あなたは投票に行きますか?」。この記事にあるようにそう聞かれたら、私は18歳になったらぜひ行きたいと答えたい。
一方で、実際の若者の選挙への関心は低く、この記事の中のアンケートでも「投票に行かない」と回答した人は、「行く」と回答した人を上回っている。また、過去の選挙の県内における投票率も10代~20代は全世代平均を大きく下回っている。
「政治はよく分からないし、自分に関係ない」。投票率が低い原因の一つにこの考えがあるように思う。私も正直、政治は難しいし、よく分からない。
しかし、関係ないとは思いたくない。そう思うようになったのは、学校での生徒会長選挙を通じての経験があるからだ。
今年、生徒会長を決める選挙で友人から応援弁士を頼まれた。人前で話すのは緊張するので引き受けたくなかったが、友人の「笑顔あふれる明るい学校にしたい」という思いに共感して応援することを決めた。その選挙活動の中で、候補者の友人と一緒に、自分自身も学校をよりよくしていくためにはどうしたらよいかを考えることができた。
それまでの生徒会長選挙は、自分の好き嫌いだけで投票していたところがあったが、今年の選挙を通して候補者の考え方を知って、自分で考えることが大切だということに気づかされた。
学校がよりよい場所になるためには、生徒会長選挙が大切であるということを学んだように、今この毎日の生活が暮らしやすく、希望がもてる社会であるためには、選挙を通して自分の考えを少しでもあらわすことが大切なのではないかと思う。そのためにもやはり難しい、分からないで終わらせず、自分も社会のことを勉強していくことが必要なのだと思う。
4月に修学旅行で神戸の税関を訪れた。それまで税関がどんなところかよく分からなかったが、関税等の徴収や輸入物の規制物品をチェックして取りしまる重要な機関であることが分かった。広島の平和記念公園や原爆ドームへも行って、一度にして多くの人の命を奪った原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さ、私たちが平和に暮らせるありがたさも学ぶことができた。
このように、これからも少しずつでも学んでいって、自分で考え、判断できるようになりたい。そして18歳になったら、自分の考えで選び投票に行きたいと思う。
高岡第一高校1年 猶明 然(ゆうめい ぜん)さん
戦後の自分たちへ
私たちは、戦争のない時代に生まれ、平和な日々を当たり前に送っている。今のこの現状が、どんなに幸せで、どんなに喜ばないといけないことなのか考えさせられる。
私は、「火垂(ほた)るの墓」という映画を何度か見たことがある。何度見ても、つらく、悲しい感情が湧き上がってくる。もし、自分がその場にいたらと考えると、到底耐えられないだろう。そして、ずっと頭からその映像は消えることはないだろう。この山口カズ子さんは、当時、今の私たちと大して変わらない年齢だ。突然、大切な家族を亡くし、残酷な現実を目の当たりにして、どんなに苦しく、どんなにくやしい思いをしたんだろうと胸が苦しくなった。
先日、機会あって、鹿児島にある知覧特攻平和会館に行き、特攻隊の人々が書き残した遺言を読んだ。特攻直前に大切な人たちに向けての様々(さまざま)な思いを書いたその手紙は、私の胸に強くささった。山口さんのように、一瞬にして大切な人を亡くした方もいれば、特攻隊のように、国の為(ため)自らの命を犠牲にし、戦争に立ち向かい命を落とした人、どちらも、残酷で、この戦争で一体誰が得をしたのだろうと思った。
毎年八月になると、戦争に関する記事が目に入ってくる。学校やお年寄り、そしてこのような新聞の記事から、私たちは戦争がどういうものなのかを学んできた。戦争を知らない私たちが、今こうして戦争というものが恐ろしく、決して起こしてはならないということが分かるのも、戦争の時代を生きぬいた方々が思い出したくない過去を語り継いでいるからだと思う。今の日本のほとんどの人が戦後に生まれている。戦争を知らない人の方が多いのだ。それだけ長い間、戦争のない「平和」な時代が続いているということだ。これからもこの平和な世の中を続けていく為に、戦争の歴史を正しく学び、その記憶をまた次へと語り継いでいかないといけない。
山口さんの詩にも「人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す だけど… このことだけは…」とどんなことがあっても、忘れてはいけないことで、繰り返してはいけないことだと書かれている。今から七十四年前に一発の原子爆弾によって一瞬にして多くの罪のない命を奪った事実を決して忘れず、この新しい令和の時代においても、核兵器のない世界を実現する為に、努力し続けなければいけない。二度と繰り返さない為に。
富山高校3年 松田 わこ(まつだ わこ)さん
「おいしさ」は生きる希望
将来を模索している18歳。そんな私に、先生や先輩に相談したり、本で調べたりすることと同じくらい、新聞は大切なヒントや道筋を示してくれることがある。それは、知りたいこととドンピシャリの内容の場合もあれば、何となく心に残る場合など、いろいろだ。
「おいしさは生きる原動力」の記事は、今の私にドンピシャリだった。心をつかまれ、繰り返し読むうちに、背筋がピンと伸びた。なぜなら、それは私が進みたいと思っていながらも、その大変さを想像して立ち止まり、一歩を踏み出せないでいる私の「夢」に関わる記事だったからだ。
記事によれば、「おいしさ」について、感覚的ではなく、科学的に解き明かす「分子調理学」という研究分野があるそうだ。研究者の石川伸一教授は、「おいしさはぜいたくではなく、人間らしく生き、希望を持つための原動力」と考えておられる。私はまず、この点に心惹(ひ)かれた。教授は、東日本大震災の経験から、人間にとっての「おいしさ」の価値を再確認されたそうだが、私にもこの夏、同じような思いを抱く出来事があった。
大学生の私の姉は、春から授業が忙しくなり、朝食を取らずに出掛けるようになった。帰宅は遅く、何も食べずに寝てしまう日々。姉は次第に痩せ、ついに笑わなくなってしまった。ようやく大学が夏休みになり、私と母はひたすら料理を作った。初めは「食べるのもだるい」と言っていた姉だった。しかしある時、私が作った「春雨サラダ」を食べて、「おいしい!」と言ってくれた。その「おいしい!」以来、姉はみるみる元気になり、よく笑う姉に戻った。震災とは状況が違うけれど、私もこの経験から「おいしさ」は生きる上での明るい希望なのだということを実感した。
そして、もう一つ、石川教授が「おいしさ弱者」になりやすい高齢者の介護食に力を注いでおられる点にも感銘を受けた。共同開発された「にぎらな寿司(ずし)」はおいしそうだ。年を重ねても、三度の食事を楽しみにしている方は多いと思う。介護を受けていてもなお、「おいしさ」を生きるエネルギーにできるとしたら素敵(すてき)だ。教授の「食事は、喜びや幸せをもたらすものである」の言葉が胸に響く。
私は、小さい頃から料理が大好きで、レストランを開くことが夢だった。中学時代に、管理栄養士という仕事を知り、今は重い病気の子供たちを少しでも笑顔にできる病院での食事に関心がある。
この記事に出会い、私は私らしく「おいしさ」の道を極める決意を固めた。それは、私の手と頭と心は、「おいしさ」を作り、届けるためにあるのだと、心から確信できたからだ。
富山市鵜坂小学校4年 宮腰 咲希(みやこし さき)さん
新聞大好き
私は毎日、新聞をよむことが日課になっています。だから私は新聞のない生活が考えられません。新聞が休みの日はとてもがっかりします。私が好きな新聞について考えてみました。
まず、新聞には外国、地いき、スポーツ、社会のことなどいろいろなことが、ページをめくる度(たび)に細かく全部のっています。インターネットでも、ニュースを見ることはできますが、情報が多すぎてうそか本当かわからない記事もたくさんあり、こまることもあります。いろいろなニュースを正しく、バランスよく知ることができる新聞が好きです。
次に、新聞のなかで必ずチェックするか所をしょうかいします。朝、あわただしくても一面のトップ記事と天地人、スポーツ面には目を通します。トップ記事は、その日記者が一番伝えたいことをのせているので、とてもためになります。天地人は記事に対しての感想が短い中にまとめられていて、こんな文章が書けるようになりたいな、と思いながら読んでいます。北日本新聞では地域のスポーツの結果もたくさんのっていて、テニスの試合結果で私の名前がのっていた時は、朝からとびあがってよろこびました。同じ小学校の人の活やくをチェックすることも日課になっています。
私が新聞を読まなかった日は一日もありません。朝、ポストから新聞を取り、新しい新聞をめくる時の「パリッパリッ」という音で私の一日が始まります。この前プロ野球好きのお父さんに朝一番に結果や最新の順位を教えたらとてもおどろいて「なんでも知っててすごいなぁ」と言われてとてもうれしかったです。これからも、たくさん新聞を読み、いろいろな人に正しい情報を伝えていきたいです。
氷見市十三中学校1年 中田 茉希(なかだ まき)さん
私にもできる!!
「八村塁」、その名前は今や日本中の人が知っているのではないだろうか。
日本人初のドラフト指名によるNBA選手。しかも一巡目。それだけでも同じ日本人としてとてもうれしいのに、その選手が富山県出身。自分のことのように心おどる話だ。そうやって世界で活躍する姿は憧れであり、希望でもある。しかし私は、最初からそのような思いをもっていたわけではなかった。
「富山出身のすごい選手がいるよ!」と母が教えてくれたのは、八村選手がNBAに指名されるかもしれないとさわがれ始めたころだった。実際メディア等で目にした彼は身体も大きく、いかにもバスケットボール選手という感じで才能に満ちあふれている人に見えた。ただただうらやましかった。私が彼をうらやましく思うのは、自分もスポーツをしていて、それが自分の思うようにいかないこともあったからだ。小学三年生の時からハンドボールをしていてポジションはゴールキーパー。しかし、小学生の時には簡単に止められたシュートも中学生になるとスピードも速く、シュートコースも複雑になってきて、なかなか上手(うま)くとることができない。
だからなおさら、八村選手のことを聞いた時に才能や身体能力という言葉で片づけてしまったのかもしれない。
しかし、彼の素顔にふれるこの記事を目にして、全体練習のあとに一人自主練習をして、仲間に追いつこうとするなど、人一倍努力を重ねてきた人だということがわかった。
英語も大学に進学した時はほとんど話せなかったのに、自由な時間を学習にあて、今では仲間に英語で指示を与えるまでになったそうだ。
記事には、彼がここまで成長できた本当の訳は目標に向かってひたむきに努力する気持ちだとあった。それは今の私に足りていないものだと思った。
私は八村選手がNBAへ行くという目標を立てて、努力してきたように、自分でも目標を立てた。
大きい目標はハンドボールの全国大会に出場して優勝すること。そしてそのために日々、自分の課題にむき合い、逃げないということ。
小さい目標は学校の朝練習での持久走のタイムを常に更新していくことだ。
彼が監督、コーチ、バスケットボールの仲間、家族への感謝を口にしていたように、彼はそれらに支えられて努力できたのだと思う。
私にも同じように支えてくれる人たちがいる。きっと私にもできる。
この気持ちを大切に、富山の偉大な先輩を見習い、目標に向かってひたむきに努力していきたい。
高岡市志貴野中学校2年 高野 裕(たかの ゆう)さん
僕たちができること
日本での外国人就労が多くなる中、県内の小中学校で外国人の児童生徒が増えているという。日本語を話したり書いたりすることができないその子供たちのために、日本語を指導する先生が必要になるのだが、今は不足しているそうだ。
今年四月に外国人の労働者を受け入れやすくする国の新制度がスタートした。しかし、医療や教育などで外国人労働者が働けるようにするこの制度に、都道府県の対応が追いついていないのが現状だそうだ。外国から労働者を受け入れても、その家族のサポートまでできていないということもあるらしく、全国的な課題だそうだ。
僕の学校にも、外国から日本語を話せない子が転校してきた。弟の学校にも、外国から来ている子が何人もいる。僕の学校の先生方は、身振り手振りをしながら、その子に声をかけておられる。僕は、その子は毎日どんな気持ちでいるのだろうと思う。今まで自分の使っていた言語が使えず、言いたいことも言えないから、気持ちがうまく伝わらない。聞きたいことも聞けない。辛(つら)いと思う。自分が日本語の全く通じない国の学校に行ったと考えると、ただ辛くて、不安でいっぱいでしかない。
外国人の児童生徒が日本語をできないままだと生活に困り、進学や就労にも影響が出てしまい、よりよい将来を描けなくなると記事にあった。その通りだと思う。意思疎通が難しければ、買い物一つにしても困るし、学校の勉強はもちろん、友達との関係もつくりにくい。そして、将来の夢にも大きく関わってくる。それは、一人の人間として大変なことだと思う。
国際社会と言われる今、そしてこれから、今まで以上に外国の人と触れ合い、関わる機会があるはずだ。富山県は、今、いろいろと厳しい中、よりよい指導ができるように精一杯(せいいっぱい)の対応をしていて、これからも指導する先生の増員を国に働きかけるそうだ。そうやって、学校や社会で外国から来る児童生徒をサポートしていくことはとても大事だと思う。でも、それと同時に、同じ学校や地域にいる僕たちが、できることもあるのではないかと思う。関係ないと思わずに、その人たちに声をかけていくこともサポートの一つになるのではないだろうか。僕は、新学期になったら転校してきたその子に話しかけてみようかと思っている。
入善町入善西中学校3年 草切 結羽(くさきり ゆう)さん
おいしさを科学する
「おいしさとは何か」の一文が目にとまった。私の祖母は、大きな手術をしてから、食べることにおいしさを感じることができず、反対に食事の時間が苦痛な時間になっている。この記事を読むと、大好きな祖母を元気にさせることができるかもしれないと思った。
分子調理学に取り組んでいる宮城大教授石川伸一さんが、おいしさを追究し、高齢者であったり、子ども向けの食品を食べやすく改良するために、実際においしさの弱者となる高齢者の介護食の開発に力を注いでいる内容だった。
祖母は、手術をする前は食べることが大好きだった。食べることで、私達(たち)孫の世話をする原動力になっていた。手術後には食べられる食材の限定、食べ方の限定で食べることにストレスを感じているようだった。食べなければ、痩せていくし活動量も低下していくことが目に見えて分かった。そんな祖母を見て、人間にとって食べることは生きていく上での原動力となり、生きる喜びの一つになると思った。石川教授が、東日本大震災で感じた食に対する考えと一致していると思った。
今、私の祖母のように、食べたくても制限があったり、高齢であるため嚥(えん)下機能が低下して食べられなかったりする人達用の食品は、多く店頭に並んでいる。実際に私は、祖母が食べている栄養補助食品を食べてみた。見た目はドロッとしていて、噛(か)み砕く必要もなく喉を通過していく。食べても、どんな食材でどんな料理をドロッとさせているのか想像がつかなかった。生きていくためには、栄養を取っていく必要はあるが、食べて喜びを感じ人間らしく生きる原動力には、とても繋(つな)がらないと感じた。石川教授が考えたホット・アイスクリームやにぎらな寿司(ずし)は、見た目も考慮されており、食べることに喜びや楽しみを感じることができるようになっている。
私は、祖母から「食」に対してたくさん教えてもらった。今、思うとどれも、家族が見て感じて食べることで、家族みんなが幸せになれることに繋がっていたんだと思った。
祖母は今少しずつだが、手術前の食事に戻りつつある。石川教授のように分子レベルで献立を考えることはできないが、少しでも祖母に喜んでもらえる、祖母に習った料理を作って、祖母や家族みんなを笑顔にさせたいと思った。
人間にとって「食」は、お腹(なか)の中に入ってしまえば同じではなく、どう調理され、味覚、視覚、歯ごたえ、舌触りなどの感覚が重要である。人間と科学が一体となり、生きる原動力となる「おいしさ」をどうコントロールさせるかが大切であると、この記事から学ぶことができた。
大門高校1年 稲澤 実夢(いなざわ みゆ)さん
感動の東京五輪を
多くの人々が楽しみにしている東京五輪。開催される2020年の夏は、もう来年にまで迫っている。スポーツにあまり関心のない私でさえ、その時を楽しみに待っている。しかしそれには、ある大きな理由があるのだ。
その理由というのは、新聞に掲載されている通り、私が住む富山県に、五輪で活躍が期待されているアスリートたちが多くいるということだ。東京五輪の出場が濃厚となった選手も、日本代表を目指す選手も、一年後の大舞台で輝くために、日々励んでいる。私は少しでも多くの富山県関係の選手が東京五輪に出場し、活躍できることを願い、応援している。また、彼らが日本中、いや世界中に大きな感動や喜びを与えてくれることをとても期待している。
そんな富山県でも開催前から盛り上がりを見せる東京五輪だが、県民から特に一目を置かれる二名の選手がいた。男子バスケットボール日本代表の八村塁選手と馬場雄大選手だ。彼らはどちらも富山市出身の選手で、以前から素晴らしい活躍を見せているため、既に広く名が知れ渡っている選手である。そんな全国からも期待大の選手が富山県出身であることは、本当に本当に富山のほこりであると思う。私は小学生の頃からBリーグの富山グラウジーズの試合をよく観(み)に行っているが、バスケットボールを全力でプレーする選手は本当にかっこいいし、とても魅入ってしまう。大きな身体で俊敏に動き、チームの仲間同士で声を掛け合い、コートを駆け回る姿とその真剣な表情はたまらなくかっこいい。東京五輪では、そのかっこいい姿を、見事な快進撃を、日本が世界に見せつけてくれることを強く期待している。
さて、選手のことばかり話をしているが、日本の国民一人一人が東京五輪では大切であると思う。東京五輪なんて、自分と遠すぎる存在だから関係ないと考える人も少なくはないだろう。確かにそうかもしれない。しかし、世界を舞台に輝こうと熱い闘志を燃やし、努力を重ねる選手たちがいる。そんな選手たちを応援し、東京五輪を盛り上げるのは日本の国民一人一人の大きな使命であり、重要な役割である。たとえ直接届かなくても、その小さな思いがたくさん集まればそれはきっと選手たちに届いて、大きな大きな力となるだろう。応援する人の数が多ければ多いほど選手たちはより頑張れるはずだ。それを信じて、私は選手たちを全力で応援しようと思う。
最後に、富山県関係の選手をはじめとする多くの選手たち、五輪には出場しないが応援というカタチでそれに参加する国民一人一人、その全員で感動が詰まった素晴らしい東京五輪を作り上げていけたらよいと私は思う。
高岡工芸高校2年 竹田 ひより(たけだ ひより)さん
荒廃する現代社会をカタチに
私は、「欲望・矛盾あぶり出す」という見出しと、複雑で刺激的な作品の写真にしばらく釘付けになった。刺激的なのは見た目だけではなく、粘土に火薬を詰めて爆破させるという制作方法のものや、戦争をイメージさせる兵器などを画面に収めたもの、環境問題の深刻化、荒廃する現代社会を表現したものなどで、どれも人間にしかできないことであり、人間が犯した過ちをイメージさせる。
こういった、人間の欲望同士の矛盾から生まれた作品は、その悲しいストーリーを見た人へ流し込んでくれる。芸術に美しさばかり求めていた私は、このストーリーの密度に圧倒された。人間の欲望によって生み出された兵器、その兵器によって失われた命の嘆く声、それとは対照的な生命の喜びが一層悲しみを引き立たせている。非常に計画的な構成に作者のこだわりを強く感じる。中には自ら考え続けてきた物事を表現しているものもあり、じっくりと眺めてしまうほどに心をつかんでくる。
私は、いつも見ている美しい作品とは違った方向でこの作品達(たち)に魅了された。作品としての美しさはとても強いのだが、それ以上にこちら側に語りかけてくるような、訴えてくるような生命力を感じる。こういった印象の深さは、見る人がどんなとらえ方をするか重要な芸術作品にとってとても大切だ。見た人はきっとこの語りかけを無視なんてできないだろう。作品に秘められた悲しいストーリーの虜(とりこ)になってしまうことだろう。全ての人間はとは言えないが、少なくとも私は悲劇が好きだ。悲しいことのはずなのに、どうしようもなく惹(ひ)きつけられる。人間の欲望は不可思議で恐ろしくとてもおもしろいものだと実感した。
私は現在、作品を制作中だ。この記事から教わったストーリーの魅せ方、感情の持たせ方など様々(さまざま)なことを自分の作品に反映していきたい。見る人が感動する作品づくりをしていきたいと思う。
新湊高校2年 頭川 亜矢(ずかわ あや)さん
当事者の思い、令和へつなぐ
「このことだけは忘れてはならない」「このことだけはくり返してはならない」。その力強い山口さんの言葉に、私は気が引き締まった。八月九日。今から七十四年前の今日、一発の原子爆弾により一瞬にして空は灰色に包まれた。戦争を体験した当事者らの様々(さまざま)な記事がある中、山口さんの詩に心を打たれ、この記事に着目した。
山口さんの詩を読むだけで、戦争や原爆の恐ろしい光景が映像のように流れてくる。戦争は悲惨であり、もう二度と同じことが起きてはならないとは思うが、他人事としている自分と、「戦争」というものから目を背けている自分に気がついた。もし、自分が山口さんだったらどうだろうかと考えてみた。いつものように仕事へ行き、当然帰ってくるはずの母が原爆で命を落とす。母を失う絶望感と、原爆によって多くの命が奪われた悔しさで、私は途方に暮れるだろう。そして、血まみれの人々を見た、地獄のような光景を目の当たりにし、心に負う傷はどれほどだろうか。私だったら思い出したくもない。そんな悲惨な過去にも目を向け、若い世代へ伝えようとしてくれるその姿に、私たちは応えているのだろうか。
今の日本は、戦後生まれがほとんどだ。そんな私たちが本当の戦争を知るには、当事者からの話に耳を傾けることが一番であろう。しかし、令和を迎え、当事者として戦争を語れる人は減る一方だ。だから、若い世代である私たちがもっと真摯(しんし)に「戦争」に向き合うべきだろう。
山口さんを自分に置き換えてみることで、これは、私たちが受け継ぎ、伝えていかなければいけないと改めて思った。山口さんら、当事者の思いはただ一つなのだと思う。それは、七十四年前の犠牲を無駄にはしてほしくないということ、つまり、戦争の惨禍を決して繰り返してはならないということであろう。
山口さんの詩で、私が思ったことは二つある。一つ目は、「父も母も もういない」「兄も妹ももどってはこない」という点である。たとえ、戦争が終わっても、戦争によって失った家族はもうもどってこないということである。改めて考えて、何て残酷なのかと思わされる。二つ目は、「人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す だけど… このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない どんなことがあっても…」という点である。彼女のこの力強い言葉が胸にささる。彼女のこの言葉に、現代を生きる私たちは「戦争」という悲惨な過去と真摯に向き合っていかなければいけないと感じ、再び気が引き締まった。そして、新しい令和の時代も、平和で希望に満ちあふれた時代となるよう願いたい。
大矢果蓮(桃李5)
▽富山市
野村大祐(藤ノ木6)
▽射水市
竹内理紗(新湊5)
▽高岡市
順德葵子(西条2)柴花穂菜(定塚3)村下陽音(牧野5)
▽氷見市
大嶋旭(灘浦6)
狩谷桃代(朝日1)
▽入善町
荒田純奈、山本翔子(入善西2)松下彩夏、由井海世(同3)
▽富山市
杉山愛子(大泉1)升谷和佳乃(芝園1)高柳匠夢(西部1)橋場十佑(東部1)藤井美玖(藤ノ木1)青木千宙、北村和也(片山学園1)庄司有沙、本永明日香(呉羽2)松田香樹(三成2)花木四季、升方真愛(芝園2)池上菜奈、萩野弥薫(北部2)辻󠄀野亜央(呉羽3)杉本茉優、古谷夏希(芝園3)廣󠄁世真麻(西部3)
▽射水市
三角音々(小杉南1)明神史哉(小杉2)黒崎稜太、布川真好(新湊南部2)甲村芽萌(小杉3)秋元優那(小杉南3)穴田羽奈(大門3)
▽高岡市
竹田一葉、山本萌愛(志貴野1)有田真央、𠮷野有海(戸出1)林明央理(牧野1)山村凰太(国吉2)三邉彩音(高陵2)川口綾(志貴野2)末廣󠄁花瑛、室崎珠奈(伏木2)大菅琴和(高陵3)安田彩華(志貴野3)上野脩平(中田3)水野紗希(福岡3)丹羽萌樹(伏木3)
▽氷見市
釣岡悠也、東海璃子、林明日香(南部1)針木奏子(同2)森姫愛乃(十三3)青木涼楓、長澤柚姫(南部3)
▽砺波市
山森陽介(庄川2)
▽南砺市
往蔵千穂(福野1)井上莉来(井波3)
福澤歩桜(飯野3)
▽黒部市
堀愛菜(中央5)
▽魚津市
碓井菜央(よつば6)
▽立山町
住𠮷利生、簗瀬茉愛(立山中央5)
▽富山市
髙嶋想愛(神明3)岡田隼輝(堀川南4)湯上耀義(大庄6)
▽射水市
小暮惟生(中太閤山1)向ののか(歌の森4)高口恵輔(金山5)松原佑樹(歌の森6)赤丸航志(大島6)塩田琉惟(大門6)
▽高岡市
佐々木映瑠(定塚4)簔口悠介(博労5)酒井煌斗(牧野5)荒貝大斗、山下翔矢(戸出西部6)姫野晴敬(牧野6)
▽氷見市
冨樫有慶(朝日丘3)高澤健一(同5)
▽砺波市
関一龍(鷹栖1)前川心咲(庄南6)川合天歩(庄東6)
▽小矢部市
辻󠄀篤人(石動6)
板倉歩憂、鬼原美里、澤田淳良、杉本杏樹、髙見柊羽、増山称、宮島莉菜、村椿紅愛(入善西2)青木万結、石﨑瑠奈、板倉航希、岩上心結、金森貴陽、坂井美月、寺林涼太、福島柚季、藤田栞那、細田夢華、森有希、若島巧覇(同3)
▽富山市
古池しずく(岩瀬1)竹田花、山岡舞子(呉羽1)明官レヲン、椀沢結奈(芝園1)藤井栞心(楡原1)青島丈拓、土地爽太(水橋1)上田真央(和合1)小野まりあ(片山学園1)池田咲樹、碓井美由、岡本寛太郎、庄司舞耶、茶木音羽(岩瀬2)西村胡春(芝園2)塚本幸佳、西村優徳(楡原2)阿部哲浩、金本咲来良、清水美釉、竹内理恵、田中結梨、嘉指永勇也(岩瀬3)野澤侑夏(三成3)池田侑加(芝園3)
▽射水市
石﨑慶、長谷川瑞、村田駿介(小杉1)村田り俐(射北1)田中那央、中山一花(新湊南部1)栗林咲羽、小林謙信、村田頼紀(小杉2)角波詩緒莉、左近颯吾、南侑那(小杉南2)上野朔良(新湊2)中寺未遥(大門2)潟口綾香、高儀二瑚、髙木悠羽、栂尾古都、野村美花、服部颯希、本郷柚、松野乃華、和藤桃子(小杉3)小杉彩衣佳(新湊3)島田一輝(大門3)
▽高岡市
足立真彩、白石晃司、田中琴菜、出村匠都、西川舞依、水戸一希、宮野遥輝(志貴野1)荒谷夕夏、𠮷野和泉(戸出1)沖田明香里、柴田心葉(中田1)平田圭吾(国吉2)岡田皓太郎、柴咲穂菜(高陵2)川渕春佳(志貴野2)金森結花、三可涼未(福岡2)宮川蓮、西田壮汰(志貴野3)井林奏斗(戸出3)畦内那名、天近心咲、山田華凜(福岡3)桐謙太朗、田子晴也、中田こずえ(伏木3)中川侑音(牧野3)石田恵里奈(芳野3)
▽氷見市
島陽依里、西川倫人(十三1)池田陽香、柿谷こころ、髙橋晴希、土居晴道、西浦一汰、村上愛(南部1)川﨑那都、堀緋奈乃(十三2)大橋楓子(南部2)向柴柊希(十三3)追分駿成、海棠玲、北野大和、午房孝徳(南部3)
▽砺波市
不破巧睦(庄西1)雄川綾音、玉井望央、寺井菜恵、松井彩音(庄川2)中村仁咲(庄西2)松岡蓮、南明良(同3)
▽南砺市
長谷川創大(井波1)山本真優(同2)但田篤樹(福光2)今藤千尋、往藏瑳咲、大島早瑛、寺脇輝(井波3)早田葵、南心愛(福野3)
▽小矢部市
西凪砂(石動2)
吉田美穂(さみさと6)
▽入善町
囲美那(飯野4)
▽黒部市
柳川陽奈(桜井5)金澤絆奈(宇奈月6)
▽魚津市
矢谷柊太郎(経田4)
▽立山町
間野紬希(立山3)
▽舟橋村
宮﨑音穏(舟橋4)
▽富山市
竹内渉(芝園2)佐治玲奈(新庄2)小川栞奈(堀川3)清河咲花(奥田北5)南條芙美、米田結美(富山大附属5)中嶋泰誠(熊野6)山本千尋(藤ノ木6)浅野里颯(堀川南6)中田航平(水橋中部6)
▽射水市
磯部歩夢(放生津1)柴田奏佳、村橋繋多(歌の森2)後藤志歩、松本明日花(大門4)北華音(同5)中田彩希(太閤山5)安川未悠(中太閤山5)笹林昂一郎(堀岡5)
▽高岡市
安藤咲来(西条4)中田真理花(戸出東部4)中村陽向(福岡4)石灰大晟、山本耕太郎(牧野4)塚本弥鼓(平米5)河村朋花(千鳥丘5)森木雅紀(戸出西部5)鈴木惇平(福岡5)吉國那奈海(同6)
▽氷見市
横田悠真(宮田3)
▽砺波市
小林和花(砺波東部4)窪田乃彩(砺波南部4)菊池良威(庄東6)
畠山莉奈、三浦倖(滑川2)
▽富山市
伊藤千遥(岩瀬1)奥山瑛深、松井まゆ(大泉1)河口璃子、吉村通世(呉羽1)瀧澤透真(西部1)杉木春奈(和合1)山口泰成(富山大附属1)大野木陽菜(大泉2)白石心菜、野々村咲希、本田美玲(呉羽2)田近愛(芝園2)川端悠花、手島里菜(西部2)奥多ひかる、ト蔵朝香(北部2)金盛夏実、土井楓香(水橋2)田仲隼大(片山学園2)石橋日菜、桑名真帆、室崎京花(大泉3)大田真歩、宮川友希(呉羽3)宮越華(芝園3)立野莉菜、原日菜子(西部3)
▽射水市
阿久津美咲、池田愛、片山莉子、神谷夏菜、栂尾古都、野村美花、服部颯希、村上紗希、渡辺心柚里(小杉3)夏野哲至(小杉南3)酒井仁香(新湊3)
▽高岡市
浅谷心咲(志貴野1)長谷川加奈、松村あおい、和田穂乃花(国吉2)関澤蓮(同3)江口実里(中田3)
▽砺波市
曽根恭華(出町2)小西陽菜、嶋田紗和(庄川3)
▽南砺市
中村碧依(平2)辻󠄀結香、宮﨑美樹(同3)
▽小矢部市
佐伯真央子、向井花笑、湯浅舞奈(石動2)田川昊樹、村上萌奈(同3)
清水禅太、田中亜弥、野村祐衣(あさひ野5)
▽入善町
上原沙弥夏(入善4)中林華愛(上青6)
▽黒部市
中嶋将弥(荻生1)金澤柚月(宇奈月6)
▽魚津市
金盛帆花、山澤桃奈(よつば3)愛宕輝介、石川天雅(同4)林晏澄(清流5)中野心葉(よつば5)岡本駿貴(同6)
▽滑川市
中島結音(北加積2)永田栞菜(寺家4)
▽立山町
幾島莉呼(立山中央4)林夕羽佳(立山北部6)
▽舟橋村
瀬戸海尋(舟橋4)
▽富山市
奥望帆子、島田健太郎(富山大附属1)蔵なごみ、坂本結香(同2)奥井偉月(熊野3)水野七星(豊田3)中田鈴乃(藤ノ木3)小林月花(山室3)水野紗彩(富山大附属3)小林凜咲(鵜坂4)新井理穂、久保結衣花、竹内詩織(芝園4)渡邉友菜(呉羽4)浅井まりな、窪田誠愛(山室中部4)廣世凌真(神明5)大井爽々乃(芝園5)梅澤環名(東部5)金代梨愛(広田5)市村優奈、吉越帆高(堀川5)丸山陽向(堀川南5)能登絢愛(山室中部5)筧菜々子、原実(富山大附属5)藤枝とう子(水橋中部6)鏑木瑞生(柳町6)荒尾駿介(五福6)小林春輝(東部6)中田果歩(豊田6)吉岡依咲(富山大附属6)
▽射水市
真野来実(小杉1)土合里歩(大門1)髙木凱生(大島2)河浦彩琴(中太閤山2)寺口友彩(東明2)川原さくら(太閤山3)益塚愛唯奈(中太閤山3)村上七月(歌の森4)野村隼太(大島4)番匠希心(片口5)田中媛加(下村5)池田温斗、佐藤世菜(太閤山5)夏野留実、野開葵衣、春木悠花(歌の森6)白石紗菜(小杉6)中野由麻(東明6)
▽高岡市
髙島紗弥夏(千鳥丘1)南咲良(戸出西部1)西田伊吹(東五位2)小西心菜(千鳥丘3)川村遙花(南条3)寺前奏(伏木3)槇谷一晟(牧野3)國谷愛梨(下関4)織田悠那(定塚4)吉田陽葵(牧野4)野口達矢(能町5)筏井誠也(野村5)浅香樹(戸出西部5)長谷川煌、村本佳世、村本芽生(平米5)作道莉奈(牧野5)長谷川将也(石堤6)新川大希、盤若なな子、松井茜(川原6)竹澤萌袈、南結衣、山﨑葵衣(国吉6)廣上遥大(西条6)笠島大煌(南条6)澤本凰希(野村6)大石釉布、堀井晴奈仁、松田怜久、松本里佳子、宮原海翔(平米6)北岡澪、松原一樹、森本壮、吉田恵莉那(福岡6)森本結月(伏木6)
▽氷見市
松野紗希(宮田5)
▽砺波市
小林篤生(砺波東部2)稻葉優月(庄川3)太田菜月(庄東4)澁谷麻友(鷹栖4)藤田真央(砺波東部4)松本遼太郎(庄川5)
▽南砺市
森田初音(福野5)
▽小矢部市
地﨑桜空、前田琥太郎(石動6)
上口もも、内村明香音、氷見優佳(滑川2)
▽富山市
今井美優、岩木晴海、大江華穂、大村茉央、小沢柚葵、坂西容、中野美結、西森彩乃、藤井大成、松下昌太郎、三ツ井麻結、山﨑理央(岩瀬1)青山実由、北岡芳乃、多喜千陽(大泉1)居鶴優衣、小林茶綺、近彩楓、髙橋咲緒、三國かな子、矢後香織里、山田夕楓(呉羽1)佐藤光(しらとり支援1)志鷹彩星(新庄1)宮島歌奈(藤ノ木1)高木佳音、田村結、中川陽世、畑美土樹、松本夏帆、溝口楓花(和合1)岡本ひなの、小笹美保子、老月未侑、神林綾斗、柴垣和日奈、菅谷結菜、長井拓真、中沖怜、西本望愛、橋本美命、深田美咲(呉羽2)辻󠄀みな美、藤村華稟、杉坂美空(西部2)今井愛咲、國光彩未、小林磨央、西田華、吉岡健人(北部2)丸山結名(堀川2)押田このか、舘絢子、立花風吹、畠山陽奈多(水橋2)石井秀汰(富山大附属2)石﨑暁子、立川和佳菜、宮前果怜(片山学園2)松井千夏、宮﨑菜杏(大泉3)川原泰樹、多賀鈴華、中澤凜、林美咲希、八木優帆(西部3)中田樹(片山学園3)
▽射水市
釣稜汰(新湊1)青見水乃理、天池由芽、池田悠太、泉田祐希、梅本幹大、小田実桜、金田結衣、北陽菜歩、串田灯里、甲村芽萌、酒井椿、佐藤秀哉、澤田陸翔、高儀二瑚、髙木悠羽、高田稀良里、立野美結、土田麻未、中井奏彩、平野豊、藤野穂香、古城愛子、牧長陽奈、森田有、吉澤菜緒(小杉3)魚谷笑香、窪田葉乃(新湊3)
▽高岡市
芹原得吏(志貴野1)小森天翔(高岡西部1)明庭妃南花、新森晴菜、関澤那菜(国吉2)森木晴香(戸出2)西岡優那(国吉3)木村奈津子、半田夢果(中田3)
▽砺波市
梅崎綺乃(庄川1)井田知里、木村更紗、田中里瑛、津島珠乙、水上亮暉(同3)島田花渚、八田奈弓(般若3)
▽南砺市
髙田千有来(平3)
▽小矢部市
桜井明日華(石動1)佐藤日菜子(同2)木場谷美輝、木場谷咲良、清原彩、辻倉歩乃花、中川拓真、中島夕鶴希、平野佐季、吉田花那(同3)
▽小学校
富山市三郷小、高岡市川原小、高岡市木津小、高岡市平米小、高岡市牧野小、砺波市庄南小
▽中学校
入善西中、富山市岩瀬中、富山市大泉中、富山市呉羽中、富山市西部中、富山市楡原中、富山市水橋中、射水市小杉中、高岡市国吉中、氷見市十三中、氷見市南部中、小矢部市石動中、小矢部市津沢中、砺波市庄川中、砺波市般若中
▽高校
新湊高、大門高、高岡工芸高、高岡西高、氷見高、高岡第一高
【飯野 義明 氏/県小学校長会長/自身の経験生かして】
審査会場に並んだ作品を一点一点手に取って読みました。子どもたちは地域社会や日々の生活など身近な話題に関心を持ち、取材をしたり、考えを膨らませたりしながら、丁寧にまとめていました。
どの作品も自分らしい言葉で表現され、書いた人のメッセージや温もりが伝わってきました。まとめ方にも一人一人の生活や経験、学校で学んだことが生かされており、たくさんの工夫が見られました。新聞記事は読んだ人の感想や意見が織り込まれることで、新たな価値が加わります。
地域社会を新鮮な目で見つめ、新しく発見したり、提案したりしていこうとする皆さんの姿勢に、大きな可能性を感じました。今回得た経験と力を、やがて社会の中で役立て、活躍していってくれることを楽しみにしています。
【阿尾 行将 氏/県中学校長会長/知らない世界に関心を】
ふと目にした記事をきっかけに、これまで知らなかった世界に関心を持ったり、自分とは違う多様な意見に触れたりできる―。このことは新聞の大きな魅力だと思います。
今回の応募作品からは、新聞を読んで初めて知った社会の出来事に驚いたり、知的好奇心が刺激されたり、将来について考えてみたり、多くの生徒の生き生きとした姿を感じることができました。新聞を通して生まれている家族や地域との温かいつながりが表現されている作品も数多くあり、ほのぼのとした気持ちになりました。
新聞は地元・富山の出来事から国際社会の課題まで、さまざまな視点を提供してくれます。皆さんには今後さらに新聞に親しみ、視野を広げ、思考力や表現力を育んでいってくれることを期待します。
【荒木 義雄 氏/県高校長協会長/自ら変わるきっかけに】
新聞はあらゆる分野にわたる最新の吟味された情報が、分かりやすい形で載っている情報の宝箱です。そして、新聞に親しむことによって世の中の問題に興味を持ち、自分の考えをまとめ、身近な社会と自分との関わりを感じていくことができます。
応募作品では、各自が興味を持ったいろいろな記事に真摯(しんし)に向き合ってくれました。家族の経験から自分の将来に目を向けた人がいました。経験できない過去の出来事を真剣に考え、「胸に強く刺さった」という人もいました。
高校生には記事を基に自分の経験を反すうし、生き方を考え、変わるきっかけとしてほしいです。傍観するのではなく、自らに働きかけて、成長することを目指してください。独り立ちした人間となるために。
【第16回わたしの新聞コンクールの経過】
応募総数は5,825点となりました。
テーマを決めて調べ、取材したことを新聞の形で発表する「かべ新聞」と、記事を読んだ感想や新聞について考えたことを表現する「新聞感想文」、気になる記事を切り抜いて家族や友人と意見をまとめる「家族de新聞スクラップ」の3部門で行いました。
コンクールは北日本新聞社と、北日本新聞販売店でつくる北日本会が毎年実施しており、今回が第16回目です。
個人やグループで作った「かべ新聞」に725点、「新聞感想文」に3,152点、「スクラップ」に1,948点の応募がありました。
3部門とも10月30日に北日本新聞で最終審査を行い、県小学校長会、県中学校長会長、県高校長協会の会長3人が審査しました。県NIEアドバイザーで県西部教育事務所の主任指導主事、指導主事による中間審査を経た作品がエントリーされていました。
審査の結果、3部門合わせて金賞19点、銀賞29点、銅賞236点、入選622点のほか、学校賞27校を選出しました。11月16日に、富山市婦中町島本郷の北日本新聞越中座で表彰式を行いました。
このHPでは、かべ新聞、感想文、家族de新聞スクラップのそれぞれ金、銀賞の作品と、銅賞・入選者の名簿を掲載しています。
主催/ | 北日本新聞社、北日本会(北日本新聞販売店会) |
後援/ | 富山県教育委員会、富山県市長会、富山県町村会、富山県各市町村教育委員会、富山県高等学校長協会、富山県中学校長会、富山県小学校長会、富山県私立中学高等学校協会、富山県PTA連合会、富山県高等学校PTA連合会、富山県児童クラブ連合会、富山県ケーブルテレビ協議会 |
お問い合わせ 北日本新聞社読者局 TEL.076-445-3351 (平日9〜17時) |