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新聞感想文

富山市堀川小学校6年 吉越帆高(よしこしほたか)君

幸せな時代を手に入れるために

 「障害者の解雇1104人」。何気(なにげ)なく見た新聞の中で、この見出しがぼくの目に飛び込んできた。
 ぼくは、生まれつき脳性まひで歩くことができない。だからこそこの記事を読んで、将来またこのようなことがあったときに自分が生きていけるかとても不安になった。なぜ障害者は解雇されてしまったのかと不思議に思ったが、そのヒントが記事の最後の文に隠されている気がした。
 障害者雇用促進法による障害者の法定雇用率をさらに引き上げることについて、「経営者側の反発が強く議論が続いている」とある。そもそも反発が起きていること自体、健常者と障害者の雇用の差別がなくなったように見せるために企業に無理矢理採用させようとしているのではないか。
 いくら無理矢理採用させられたとしても、このままだったら企業は求めて採用しているわけではなく、基準を守るために採用していることになるので、差別はなくならない。今のコロナ禍の状況のように人件費をけずらないといけない時に、求めて採用しているわけではない人材から解雇されてしまうのは当然だと思う。
 このようなことをなくすために何ができるか考えてみると、やはり全ての仕事に一律に障害者の雇用を求めるのではなく、障害者が健常者と変わらず活躍できる分野を見出(みいだ)し、そこの分野で雇用していくことが大事だと思う。
 例えば、ぼくのように脳性まひで歩くことが難しいなら、テレワークで働けるような分野が向いていると思うし、耳が聞こえづらく補聴器を使っているなら、補聴器を開発する会社に勤めるのもいいかもしれない。無理矢理採用しているわけではないので解雇もされにくくなる。
 もちろん、どんな職種でも障害者と健常者が分けへだてなく採用されるようになれば一番良いが、そのような選択肢も考えていくことも、このようなことをなくす有効な手段かもしれない。
 どんな方法であれ、障害者であっても健常者であっても、みんなが自分にとってやりがいのある仕事ができるような社会になってほしいと思う。そうすればぼく達(たち)は本当の幸せな時代を手に入れることができるはずだ。

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2020年8月5日付 北日本新聞

高岡市国吉義務教育学校7年 中島英里香(なかしまえりか)さん

戦地からの手紙

 この記事を読んで、私はある手紙のことを思い浮かべた。
 私の曽祖母は去年103歳で亡くなった。遺品整理をしていた祖父が、曽祖父からの手紙を見つけた。
 それは、戦争で南方へ行っていた曽祖父が曽祖母と祖父へあてた手紙だった。
 祖父の誕生日は昭和20年6月。その頃日本は、第2次世界大戦の最終局面をむかえており、本土決戦、特攻隊などの攻撃をして必死で戦っていたそうだ。
 曽祖父は南洋群島に出征し戦っていたが、戦況が悪くなり曽祖母のもとに戦死の知らせが届いていた。その時、曽祖母のお腹(なか)には祖父がいた。夫が死に、年をとった父母と生まれたばかりの子をもち、まだ若かった曽祖母はどんなに大変だったことだろう。我家(わがや)は旧家で、曽祖父が村長でもあったので、終戦後、アメリカ軍がやってきたときも一人で対応していたのだろうか。その苦労は考えてもはかり知れない。
 しかし、幸いなことに曽祖父は生きて帰ってきた。その時の家族の喜びはとても大きかったにちがいないだろう。
 曽祖父が戦地から送った手紙は、祖父は見たことも聞いたこともなかったそうだ。
 曽祖母はなぜ見せなかったのだろう。お葬式の挨拶(あいさつ)で声をつまらせながら祖父が話していた。
 「あの手紙は、父が戦地で死を覚悟したときに母とお腹の私にあてて書いた手紙でした。私はその手紙を読んだ時、あの父が、私と母のことをこんなにも大切に思っていてくれたんだとわかりました。私は本当にうれしかった。しかし、手紙の内容は誰にも教えられません。あの手紙は、私と母だけの心にしまっておきたいのです」
 その手紙は、祖父と曽祖母の「宝物」なのだと思う。死を覚悟した曽祖父が、最後に伝えたかった言葉が、何も隠すことなく書いてあるのだろう。
 戦争の時は曽祖父も若く、結婚したばかりで幸せだったんだろう。その幸せを奪ってしまう戦争は本当に残酷だと思う。
 今年は戦後75年の年だ。祖父の年齢も75歳だ。私は祖父にずっと元気で長生きしてほしい。こんな戦争は二度と起こらないでほしい。これは、戦争で命を落としたたくさんの人々の切なる願いだろう。

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2020年8月12日付 北日本新聞

射水市新湊中学校2年 笹島悠生(ささじまゆうせい)さん

僕と新聞の関わり方

 僕は小学校三年生から野球チームに入っています。野球が大好きで、毎日練習に行くのが楽しく、中学生になった今でも野球づけの毎日を送っています。
 野球を始めてしばらく経(た)ったある日、母が「あなた達(たち)のチーム、新聞に載ってるわよ」と言いました。それが僕と新聞との初めての出会いでした。
 その日は大きな大会の開催日で、出場するチームのチーム紹介が載っていました。各チームの集合写真とキャプテンのコメントが書かれていました。その写真で僕は後ろの方で小さく写り、帽子の影になって顔が全然分からない写真でした。それでも、なんだか照れくさく、でもうれしかったことを覚えています。
 僕はそれをきっかけに新聞のスポーツ欄を毎日見るようになりました。スポーツ欄の中でも野球コーナーは僕の欲しい情報が全て書かれています。プロ野球が始まると、テレビで放送されていない試合の結果や詳しい内容、各選手の打率や勝率、チームの順位表など見ていてワクワクしました。高校野球が始まると、県大会から甲子園まで、新聞の情報を基にドラフト予想をして楽しんでいました。
 こうして、野球がきっかけとなり、新聞を手に取るようになりました。
 中学生になった今、新たに新聞のあるコーナーに注目しています。それは、毎日掲載されるコラムのコーナーです。僕は勉強の中で国語がとても苦手です。文章問題が特に苦手で、テストでなかなか点数が取れません。それを見かねた母が、「そのコラムの書き写しをやってみれば」と提案してくれました。書き写すことによって国語の成績が上がると言うのです。まさかと思いつつも母がしつこく言うので、試しにやってみることにしました。
 毎日はなかなか出来(でき)ないので、出来る時にするようにしました。そのコラムは毎日違う話題について書かれています。その時の話題のニュースを色(いろ)んな角度から見てあったり、ある言葉について深く掘り下げてあったりします。読んでいて引きつけられる表現や知らなかった言葉使いが度々あり、静かに心に残る文章となっています。
 僕の国語の成績が上がったかどうかはさておき、文章に対する苦手意識が以前よりも軽減されたように感じます。
 野球に始まり、今はコラムのコーナーと、少しずつ新聞への関心が広がっていきました。この先、新聞が僕に与えてくれる影響がどれだけあるか分かりません。しかし、これからも僕に必要で興味のある情報が新聞の中には必ずあると思います。
 僕は高校生になり、大人へと成長していきます。その時その時で考え方も変わるはずです。そんな時、新聞とうまく関わって、考え方や生活に取り入れていきたいと思います。これからもずっと、僕の横に新聞を置いて、日々を過ごしていきたいと思います。

高岡市志貴野中学校2年 竹田一葉(たけだかずは)さん

祖父と僕をつなぐもの

 「カコン」
 ポストに新聞の入る音がした。僕と新聞との日常が始まる。今の僕の一日の始まりは、新聞に目を通すことだ。どんなに忙しい日でも、少しでも時間があれば1面の大きな見出しに目をやり、世の中で今、何が起きているのか確認する。
 今はそれが習慣になったが、小学生のころは全く新聞を読まなかった。新聞は大人が読むものだと決めつけていた。そんな僕を変えたのは、祖父の一冊のノートだった。祖父の家に遊びに行くと、祖父はゆっくりと新聞に目を通し、それから僕に色々(いろいろ)な話をしてくれた。その中でもよく話題になったのは、政治や経済についてのニュースだった。
 しかし、新聞を読む習慣も興味もあまりなかったので、会話を交わすことができなかった。そんな感じの僕に祖父が突然一冊のノートを渡してきた。開いてみると、毎日の世界の株価、話題になっている記事が切りとられ、貼られている。また、祖父の好きな相撲の記事も多く貼られていた。今までの勝負の記事に祖父の言葉もつけ足して書いてある。
 そして、次のページをめくると二カ月ほど前に祖父と解いたナンプレが貼ってあった。僕は一緒に解いたものをわざわざノートに貼って残しておいてくれる祖父の気持ちが嬉(うれ)しかった。
 そこからまた数ページめくっていくと、一つのページが目に留まった。そこには、今まで僕の名前が新聞に載った時の記事が貼りつけられていた。学校名と名前しか載ってない様(よう)な小さな記事も貼ってあり、日付も書いてある。
 祖父がこんなにまで僕のことを気にしてくれていたことがわかり、その時から僕は新聞に興味をもち、読むようになった。新聞を読むようになってからは祖父との話も弾み、祖父の笑顔も増えた気がする。世代の違う僕と祖父をつないでくれた新聞にはとても感謝している。
 今は手軽に情報を入手することが出来(でき)るネット社会だが、新聞には新聞にしか出来ない役目があると思う。僕はこれからも新聞を通して、祖父との共通の思い出を増やしていきたい。

伏木高校1年 天近心咲(あまちかみさき)さん

新聞で学ぶ「今の社会」

 今年、高校一年生になりました。二年後の十八歳から投票に参加できるようになり、私も有権者の一人として今の社会を知ることが必要になってくることが分かりました。その為(ため)、記事を読み取り、社会との向き合い方を考えることは大切なことだと思いました。自分の将来や、今後どのように生きていくかを選択することにもつながる大きな課題となりました。
 私の高校生活は、コロナウイルスの影響で自粛期間からスタートしました。中学生の頃の私は身近な話題や、世界規模の大きなニュースを新聞では読まずに携帯のSNSやLINEニュースなどでしか情報を入手していませんでした。しかし、コロナウイルスで危機感を持ち、自粛期間中から少しずつですが、新聞を読むようになりました。
 ネットの便利さは誰もが実感しています。ニュースを伝えるメディアとしては新聞よりも速報性が優れていて、より多くの情報量を載せることができます。しかし、ネット上のニュースの大半は新聞社の報道がもとになっています。記者が自ら現場に出向き、当事者や関係者から直接話を聞き、言葉を厳選しながら記事を書いているため、とても信頼性が高いです。また、紙の新聞はニュースの重大さに視覚的に触れることができるため、記事が心に残ります。
 新聞を読むか読まないかの二つでは、大きな差ができると思います。私は、今がどのような社会なのか、新聞を通して読み取りたいと思います。二年後、有権者としての自覚が出来ているかは自分自身にも分からないことなので、忙しい時は見出しだけでも読みたいと思います。
 また、なぜその記事に興味を持ったのか、その記事について何を考えたのか、記事の内容が今後どのように影響すると思うかなどを考えることが重要なことだと思いました。その為に、新聞を日常的に読んでおくと、日々の社会情勢やトレンド、たくさんの言葉を知らず知らずのうちに身につけることができると思います。新聞を開けば自分の興味のなかった分野の記事も目に飛び込むので、そこからさまざまな発見や気づきが生まれると思います。
 だから、私は単に新聞を読んでニュースを知っているのかどうか、ということだけにはならないようにしたいです。そのニュースをどのように捉え、また、いかに自分が理解しているのかを意識したいと思います。そして、今の社会で起きていることを学びたいと思います。

高岡第一高校1年 松田恭佳(まつだきょうか)さん

コロナ緊急事態宣言下の献血不足

 今春、私は高校生になった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で休校が続き、あっという間に夏休みに入った。そんなある日、献血が不足しているという新聞記事を目にした。今夏、私の妹が大きな外科手術を受けた。手術は九時間かかり、四百ccほどの輸血をいただいた。私はこの時はじめて「献血」を意識した。妹の命を守るために、足りない血液を提供してくれた人たち、その善意の献血が現在コロナ禍の日本で不足している…何故だろう。調べてみることにした。
 まず何故「献血」が必要なのだろう。現代の医学はどんどん進歩しているが、血液はいまだに人工的に造ることができない。だから、献血でたくさんの人から血液を集めるしかない。そして、血液は生きた細胞の集まりなので、長期保存ができない。そのため、いつでも患者さんに血液を届けられるよう、毎日新しい血液を確保しなくてはいけない。ちなみに、現在一日に三千人もの患者さんが輸血を受けているそうだ。
 私が最も気になった点は、この十年間で若い世代の献血者が三十五パーセントも減少しており、将来的に必要な血液量が確保できなくなるかもしれないおそれが、以前から指摘されていたことだ。献血は基準を満たせば十六歳からできる。採血にかかる時間は十五分ほどで事前の検査を含めると四十分ほど。安全に行える手順になっている。
 今まで自分には関係のないことのように感じていたが、私はもうすぐ十六歳、献血をすることができる年齢になる。仕組みや手順を知れば不安感なくできると思った。そして妹を助けてくれた輸血量は、おひとりかおふたりの善意であることが分かり、知らない方の善意にとても感謝の気持ちをもった。
 日本赤十字社のホームページを読むと、献血をした方々、輸血を受けた方々の声が掲載されている。まさに生命のバトンリレーを皆がしているような、「困った時はお互い様」という見えない優しい心に支えられているような幸せな気持ちになる。
 現在は新型コロナウイルスの影響で、人と人とのつながりの形が変わっていっているようにすら感じるが、「献血」というつながりは変わらずに必要不可欠で、いつも誰かが誰かを助けている。例年とは異なる高校生活をスタートさせた私だが、今回の「献血」の新聞記事をきっかけに知らなかった人のつながりに出会い、新しい一歩を教えてもらった。どのような状況下でも、自分にできることで人とつながっていこうと思う。

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2020年8月3日付 北日本新聞

富山中部高校2年 若狹菜奈(わかさなな)さん

プラごみ問題の「今」を考える

 海岸に広がるプラごみの山─。小学校5年生の私が初めて参加した海岸清掃で目にした光景は、余(あま)りに衝撃的なものだった。洗剤のボトル、食品トレー、そして拾うと手の中で粉々に砕けるプラ製の袋。石のすきまをよく見ると、大量の砕けたプラスチックの粉があった。こんなにたくさんのプラごみは、一体どこから来たのだろう。それは、私がプラごみ問題に興味をもったきっかけとなった。
 私たちの身の回りはプラ製品にあふれている。改めてその事実に気付いたのは、新型コロナウイルス感染症の拡大による休校期間のことだった。3月からの3か月間、学校で授業を受け、友達と話し、部活動に取り組む普通の日常が突然なくなってしまった。感染を恐れて毎日家に閉じ込もり、一人で過ごす単調な生活が続いた。
 しかし、そんな日々を過ごすうちに日常では気付けないような発見があった。それは、自分の家から毎週大量のプラごみを出している事実だ。中身を調べてみると、一番多いのはスーパーマーケットで買う食品の包装だった。考えてみると、野菜や卵、豆腐など食品のほとんどがプラ製の容器や袋に入っている。
 また、軽くてどんな形にもなるプラスチックは、日用品として身の回りにあふれている。私は休校期間中に部屋の整理をして、不要になったプラ製のおもちゃや文房具を燃えるごみとして大量に捨ててしまった。どこか人ごとだったプラごみの問題が、自分自身の生活に直結していることに改めて危機感を覚えた。
 そんな中、政府が家庭のプラごみを一括回収する方針を示したという記事を見付けた。これまでは容器包装のみを回収してきたが、一括回収の仕組みが実現すると、プラ製の文具や玩具なども「プラスチック資源」として回収し、リサイクル率を高めることができる。
 現在は回収されたもののうちリサイクルされるのはたったの2割だけで、6割が焼却され発電に利用されているにすぎない。しかも、分別や回収の作業にもたくさんの人手と費用がかかっている。私は、リサイクル率の向上と同時にプラ製品を使わない、作らない社会の仕組みを作ることが必要だと考える。
 2020年7月1日、全国の小売店でレジ袋の有料化が始まった。プラごみのうちレジ袋が占める割合はごくわずかだから、この政策に意味がないと言う人もいる。しかし、私はそうは思わない。より多くの人がレジ袋を使わないようにすることで、プラごみの問題に気付き、自分たちの生活を見直すきっかけになると思う。未来を創るのは、今の私たちの小さな気付きと選択だ。

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2020年7月29日付 北日本新聞
新聞感想文

高岡市下関小学校1年 有澤心美(ありさわここみ)さん

オンライン授業の記事を読んで

 わたしは、しんがたコロナウイルスでがっこうがきゅうこうになって、オンラインじゅぎょうを5月にしました。そこには、わたしのがっこうのこうちょうせんせいや、たんにんのせんせいがテレビにうつっていて、めっせーじをくれました。せんせいのめっせーじをみて、うれしくなって、べんきょうをがんばりたいとおもいました。
 オンラインじゅぎょうがあったおかげで、がっこうがはじまったときのべんきょうがわかりやすくなって、うれしかったです。そして、せんせいにあえたとき、とてもうれしかったです。
 いままだ、しんがたコロナウイルスがおさまらないので、がっこうの夏やすみがみじかく、うんどうかいやあつまりがなくなりましたが、またなつやすみがおわったら、せんせいや、ともだちとあえるのがたのしみです。せんせいやともだちのこえをきくのがたのしみです。

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2020年8月7日付 北日本新聞

氷見市十三中学校2年 島陽依里(しまひより)さん

長寿大国日本!!

 「平均寿命延び8年連続」という見出しが私の目にとまった。2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳となり、ともに過去最高を更新した。その背景には、健康意識の高まりや医療技術の進歩があるようだ。
 健康意識について調べてみると、疫病予防や健康維持に関心を持つ人が増えている。私も休日に近くの公園をジョギングしたりして体を動かしている。また、コンビニ等で、よく特定保健用食品を目にすることがある。母も特定保健用食品と記載されていたら、ついつい購入してしまうらしい。その他にも、喫煙者が年々減少するなど健康に対する意識が近年高まっているようだ。
 医療技術の進歩は、新聞によく掲載されている。私たちにとって医療技術の進歩というものは、大変うれしいことだ。医療技術の進歩で自分が長生きできる可能性が高くなるという理由はもちろんだが、自分にとって大切な家族も長生きできる可能性が高くなるのである。誰だって自分や他人の死は怖いものだと思う。
 だが、死というものはいつかきてしまうのだ。寿命が短ければ自分のやりたいことなんて山ほどあるのに、出来(でき)ずに人生を終えてしまうかもしれない。私は長生きしたい。だけど、老後の人生は周囲の支えがあっての生活である。現在の日本は少子高齢化社会であり、医療技術の進歩により更(さら)に高齢者は増加する。そうなった場合、高齢化社会を支える若者もバランスよく必要になるだろう。
 日本の医療技術は、国境を超え、世界中の多くの人々の命もたくさん救っている。日本の誇りの一つであり、他国と比較しても日本の医療は安心できる。安心できる理由は、技術の進歩と医療関係者が患者さんのことを理解し、寄り添ってくれるからだろう。
 医療現場で働く人たちから患者への思いがあるから、患者はどんなにつらい治療でも、逃げずに病(やまい)と闘えるのだろう。治療へ前向きになれる、そうしたことも、日本人の平均寿命が延びていることにつながっているのではないだろうか。
 現在、日本中コロナ禍で感染者が日々増加しつつある。コロナは怖い。今こそ平均寿命の延びにつながった健康意識、そして医療技術の進歩がコロナウイルスを終息に導く鍵を握っているのではないだろうか。
 今、自分にできることは、コロナウイルスに感染しないために、外出をひかえること、コロナに負けない身体づくり、生活習慣を心がけることぐらいしかできない。感染を広めないために、一人一人の健康への意識、それが大変重要だ。医療に携わる方々には治療・予防できる新薬を開発してほしい。日本の医療技術の力でコロナウイルスを一日でも早く終息することを願いたい。

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2020年8月1日付 北日本新聞

片山学園中学校2年 北村妃音(きたむらうぃん)さん

私の叔父から学んだこと

 バングラデシュで空手を教えている叔父のことが記事になった。叔父は、ずっと空手をやっており七段だ。空手は今年開催される予定だった東京オリンピックの正式種目になった。この叔父の「空手指導で国際貢献」の記事を読んで私は二つの強さに感動した。
 一つ目は「苦境でも夢をあきらめない」強さだ。バングラデシュは、アジア最貧国とも言われ、また、国の強化種目でない空手は練習場所すらない環境だそうだ。叔父も仕事の合間の早朝と夕方に週六日間指導したそうだ。厳しい環境の中でもメダルを獲得したい選手たちとあきらめず練習を続けた叔父は、空手の強さと精神の強さを持った人だと思う。苦境であればあきらめる、負ける人は多いと思う。しかし、選手と一緒に夢をあきらめず「必ず勝つ」と確固たる意志をもってやり遂げたことが本当に素晴らしいと思った。
 二つ目は、「自分の生涯を通して空手でやりぬく」強さだ。叔父の空手競技歴は四十八年。今では日本のみにとどまらず、海外でも指導する立場となった。一つのことを継続してやり続け、生涯をかけてやりぬくことは、強い意志がないとなかなかできない。叔父は「教え子は自分の子どものようなものでこれからも支えたい」と記事で語っている。国籍を問わずわが子のように指導する叔父は、私の誇りであり自慢の叔父である。叔父はこれからも「空手」を通して年を重ねてもあきらめない強さで、人生を楽しく歩んでいくと思う。
 この記事を読んで「あきらめない強さ」「やりぬく強さ」というキーワードが、自分の心の中で何度も繰り返し響いている。そして、今の自分を見つめ直し、深く考えさせられるきっかけとなった。
 私は今、中学二年生だ。毎日、勉強と吹奏楽部を両立させる文武両道という目標がなかなか達成できない。正直、「勉強は嫌だ」と毎日のように思う。吹奏楽部は学内でも活動量が多い。これを理由に、勉強をあきらめてしまっている自分がいた。遠い海の向こうのバングラデシュでは苦境の中、自分と向きあい、自分の夢をかなえるために毎日努力している人がたくさんいる。
 私は恵まれた環境の中で、目標から逃げていることに気づいた。この夏休みで「あきらめない強さで自分を震い立たせて、文武両道という目標に向かって再出発する」と固く誓った。

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2020年1月6日付 北日本新聞

高岡市国吉義務教育学校9年 明庭妃南花(みょうばひなか)さん

「生きる」とは

 この記事には、最近嘱託殺人事件で亡くなった難病を患う女性と同じ病(やまい)、ALSと闘う村下さんの胸の内が綴(つづ)られていた。今話題の安楽死についての話だ。
 難病を持つ人々が生きにくいと感じるような世界になってしまっていることは問題だと思う。私はこの問題と向き合っていくためには、周りの人が偏見をなくし、理解を深めていくことが大切だと考える。
 町で車椅子に乗っている子供や、管があちこちにつながっている人を見たとき、一度は偏見のまなざしで見たことがあるのではないだろうか。一人一人のその視線が心を刺すナイフとなり、難病の人が生きづらさを感じてしまっている。
 その原因は、私たちの難病に対する理解が足りないことにあると思う。ナイフを言葉や理解の「プレゼント」に変えて、私たちは難病の人たちと支え合い、つながりをもっていくことが大切だと思う。そうすることで、難病の人も生きることに小さな幸せを見出(みいだ)すことができるのではないだろうか。
 村下さんも人と交流することで希望を見出すことができた。そのきっかけ作りは私たちにもできることであり、力になれることではないだろうか。病気を患っていようが患ってなかろうが、私たちは同じ人間である。偏見の壁を越え、思いやりの心をもって接していくことが大切だ。
 私たち人間は、人間として生まれ、命を与えられた以上、たとえどんなに苦しくても、辛(つら)くても、生きていく。途中で難病にかかったり、体が思うように動かなくなったりして、本当に投げ出したくなって命を自ら絶つ「リタイアボタン」を押したくなるかもしれない。
 でも、その押そうとしている手を止めるのは周りにいる私たちだ。偏見をなくし、難病への理解を深め、さまざまな人とつながり、新しいステージへの扉を開いていこう。そうすることで、安楽死という考え方はなくなっていくのではないだろうか。
 生きること、それは一人一人意味が違うと思うが、私は人とつながり、誰かの支えになり、誰かから支えられていくことだと思う。人は一人では何もできない。人という字が支え合ってできているように、どんな人とも支え合っていこうと思う。
 生きることにそれぞれ幸せを見つけていこう。どんなに小さくてもいい。それはあなたが困ったとき、救ってくれるカギとなる。

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2020年7月13日付 北日本新聞

氷見高校1年 中田侑里(なかだゆり)さん

「孤立感」の先へ

 今、私たちは、経験したことがない不安な状況の中にいる。新型コロナウイルスの出現で、それまでの生活が大きく制限され、様々(さまざま)に変化した。そういった生活の中で日々私が感じていたのが、この新聞記事にある「孤立感」だった。
 楽しみにしていた春休みの予定は全て無くなり、高校の入学式の後、登校することはほとんどなく、自宅での学習が続いた。友達とSNSなどで連絡をとっていても、直接顔を合わせて話すことがない毎日に、自分だけが取り残されている気分になった。
 この記事には、精神科医の高柳功さんが、診察してきた患者の自殺事例を検証した著書を通して、命を救いたいという思いが書かれている。誰も自分のことを支えてくれないという「孤立感」が自ら死を選ばせるのであり、最も大切なのは誰かの心とつながり合えること、悩みや苦しみに共感し、安心感を与えてもらうことで人は救われる、とある。
 私も「孤立感」がつのり、部屋にこもっていた時に、家族から
「この状況で苦しい思いをしているのは自分だけじゃない。医療従事者の方などもっと大変な思いをしている人たちがたくさんいる。与えられた環境の中で、自分が楽しめることをしていこう」
と声をかけてもらった。その時から気持ちが楽になり、いつもはできない時間のかかる料理をして家族に食べてもらったり、妹とスポーツで身体を動かしたりして「孤立感」を少しずつ乗り越えていった。
 人間関係は時にやっかいなこともあるけれども、まわりと関わりなく生きていくことは寂しいことでもある。新型コロナウイルスのこの自粛期間を通して、家族との心のつながりを改めて感じることができた。
 また、自粛期間があけ、登校した際に友達の顔を見て挨拶(あいさつ)を交わすだけのことにも喜びを感じることができた。自分にとっての友達の存在の大きさを実感することができた。
 今後、このような不安定な状況だからこそ記事にあるように、今度は自分が周りの人たちの悩みや苦しみに共感できる人間になりたいと思う。そして、この不安な状況を周りの人たちと支え合って乗り越えていきたいと思う。

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2020年7月18日付 北日本新聞

砺波高校1年 中橋和奏(なかはしわかな)さん

新聞と曽祖母

 私の曽祖母はいつも声に出して新聞を読んでいる。それは私が幼い頃からずっと続いている習慣であり、毎日欠かさずだ。幼い頃の私はそんな曽祖母の姿を見て、「そうやってわざわざ声に出さなくたって分かるじゃないか」とよく思っていたものだったが、今年で九十歳を迎える彼女が物知りで、ぼけることもなくはきはきしゃべっている秘訣(ひけつ)の一つなのではないだろうか、と今は思っている。
 私と両親、妹は、以前は曽祖母の家で暮らしていたが、学校から少し遠かったこともあって引っ越しし、今は四人で暮らしている。そのため、曽祖母の家には長期休みが来る度に足を運んでいる。
 午前十時のリビングで熱いお茶とお菓子を一緒につまみながら、曽祖母の新聞を読む声を聞く時間が私は好きだ。隣に座って「そのニュース知っとるわ」「そんなんあったんや」などと口を挟みながら、期間限定のその時間を過ごすのだ。
 夏休みのある日、私が美術の展覧会で大きな賞をとったことがあった。受賞したことは伝えてあったのに、曽祖母は新聞に載っている私を見つけると途端に顔を綻(ほころ)ばせ、噛(か)みしめるようにその記事を読み上げた。
 家に帰った後、曽祖母が丁寧に切り取ったあの記事を母がファイルにしまいこんでいるのを見た。私はそれらの間ずっと、心がほんわりするような、くすぐったいような気持ちがしていたのだった。
 新聞にはたくさんの良さがびっしりつまっている。例えば新聞は、毎日違った知識という財産が得られる。例えば新聞は、人の心を温かくする。あの日の体験も、友達が着物の大会で優勝した記事を見つけたときも、素敵(すてき)な詩が載っていたときもだ。
 そして、新聞は一瞬を永遠にする。テレビや誰かの言葉というのは人生の一瞬で、大抵のものは忘れていってしまう。だけど、新聞の一瞬は残そうとすればその時の思い出とともに、懐かしむいつかの日まで留(とど)めておける。新聞は宝箱のようだ。だから私も曽祖母を見習い、声にも出して新聞を毎日読み、習慣にしたいと思う。

高岡第一高校2年 猶明然(ゆうめいぜん)さん

小さな記事の大きな影響

 私は、この小さい記事に、大きな衝撃を受けた。世の中には、自分たちには想像もつかない残酷なことが起こっているという現実だ。私たちは、日本という平和な国に生まれ育ち、街の中も自由に歩き回ることができる。それが当たり前のこと。しかし、こんな生活とは真逆の国々があるんだということを、改めて痛感した記事だ。
 この小さい記事の中には、「拉致」「爆弾テロ」「人間爆弾」と、恐ろしい言葉がならんでいる。拉致や爆弾テロという言葉はニュースなどでもよく耳にする言葉だったが、人間爆弾という言葉は、特に何度見ても恐ろしい言葉に感じた。
 しかも、子供であり、そのほとんどが女性という事実。体に爆弾が巻きつけられ、自分が爆弾と化して起爆される。その子供たちの気持ちは、こんな平凡に毎日を送っている私には到底理解することはできないと思う。ただただ、想像すると体が震えてくる。じゃあ、逃げ出せばいいじゃないかと簡単に思ってしまう。
 しかし、わが国とは違うナイジェリアという国の背景だったり、育ってきた環境、思想など、色々(いろいろ)なことが私の育っている日本と違いすぎて、自分自身はこんなことがあってはいけないと簡単に思ってしまうが、彼女たちが私と同じ考えかもわからないのだ。
 私は、少しこのボコ・ハラムという組織がどういうものなのか、ネットで調べてみた。この組織も初めは、腐敗したナイジェリアを正したい、イスラム教の教えを忠実に実践する組織にし、格差問題を解決したいという思いから立ち上がったものだったようだ。それがいつの間にか、その目的のために暴力を使う武装宗教団体となっていってしまったのだ。
 正直、世の中を正したいという頼もしい考えが、悪い方向を向いてしまうと、こうも変わってしまうのかと怖くなる。目的は同じでも、考え方、やり方次第では大きな違いになってしまうのだ。その国々で考え方は違うし、状況も違うとは思うが、人が戦争の道具になるということ、弱い子供が利用されることは決してあってはいけないことだと私は思う。
 いろいろな人がいていいと思う。いろいろな考え方があってもいいと思う。時には、ぶつかり合うことも必要だと思う。でも、やはり手段を選ばず、何をやってもいいわけではない。一人一人が相手のことを少しだけ考えることができたら、小さいことだけど、大きな変化になると私は思う。

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2020年7月26日付 北日本新聞
新聞感想文
◇小学校◇
▽入善町
幾島千晴(桃李3)大矢果蓮(同6)
▽舟橋村
當田峻大(舟橋3)
▽高岡市
寺下愛姫(千鳥丘3)佐々木映瑠(定塚5)
▽南砺市
江田優奈(福野6)

◇中学校◇
▽入善町
岩井遥香、小坂海翔、佐藤亜胡、坂東朋(入善2)
▽富山市
原薗歩未(芝園1)米川夏彩(西部1)木津胡春、柚木裕矢(北部2)小笹美保子(呉羽3)
▽射水市
鳥本莉未、野上沙也香、前田奏夏(新湊2)横井美南(小杉3)
▽高岡市
上子悠太、高野裕(志貴野3)兼松夏花(伏木1)林奏(同3)林健留、森田愛乃(戸出1)荒谷夕夏、北村凌也、𠮷野有海(同2)
▽小矢部市
平野彩佳(蟹谷2)
▽砺波市
山𦚰一(庄川2)嶋田憩、藤崎きらら、松井彩音(同3)

◇高校◇
谷川あやみ、安田美乃里(富山北部1)河原百花、竹森綾、畑田翔、原田悠愛(高岡西2)上田凱也、坂井怜菜(高岡南2)穴倉莉緒、大金夏樹、竹内愛美夏、恒川侑翔、寺下明里、中谷陽奈、布野杏、脇本藍輝(氷見1)池田千遥、熊野誠美、塩﨑愛子、八田奈弓(砺波1)秋山きらら、國本颯、本多愛、松岡新大(高岡第一1)島田隆成、嶋村琴音、城宝陽菜子、野村明日香(同2)
新聞感想文
◇小学校◇
▽入善町
坂東律(桃李2)上島梨瑚(同3)青木虎徹(同5)大村蘭月(同6)
▽黒部市
保里聖來(桜井4)
▽富山市
中林琴音(堀川南3)遠藤珠羽(芝園6)
▽高岡市
梶帆乃愛(川原5)森菜那世(下関5)筏井孔晟(南条4)児嶋丈瑠(戸出西部5)松原伊葵璃(中田4)
▽砺波市
小清水陽士(出町3)不破未琴(砺波東部6)
▽南砺市
中山翔太郎(福光東部2)

◇中学校◇
▽入善町
青地らな、上田航、亀田紗和、草美心、瀧本菜々花、長川原愛、長谷朋実、細貝るり、米田煌渚(入善2)
▽富山市
南部圭壱(芝園3)葛󠄀島彩乃、濱井倫太朗(西部1)牛島来瞳(同3)渡辺芽衣(北部2)庄司舞耶(岩瀬3)伊井花凜、岩木琉心、奥田真衣、数井一心、佐藤彩乃、柴垣和日奈、土田陽花梨、西本望愛、深田美咲、本田美玲、本永明日香、山森奏和(呉羽3)
▽射水市
今井晴子、京谷美甫、竹内幸生(新湊2)生地葵衣(同3)明神史哉(小杉3)稲垣芽生、夏野留実、廣瀨花琉、𠮷本龍生(小杉南1)佐久間悠、前川夏音、向野美織(同2)川渕峻太朗、京角葉奈、左近颯吾、澤井優花(同3)
▽高岡市
大野友有希、竹澤佳那、橋場遼輝(志貴野1)島田くるみ、沼田栞歩(同3)小熊彗太、林倫子、山田愛乃(伏木1)北山琉偉、早瀬健太、船木万莉(同3)金森慧(戸出1)竹田織羽、常木楓夏、中條南、三田朔也、吉井遥菜、𠮷野和泉(同2)杉山知己、松本想生(同3)長谷川果南(中田2)山村凰太(国吉義務教育学校9)
▽氷見市
西川那波(南部2)
▽小矢部市
綾村一航、勢田彩妃、中田杏南、山室琳花(蟹谷2)柴田紗英、田中日香莉(同3)
▽砺波市
南部心稟、六田花(庄川1)小谷彩乃、藤本花穂(同2)雄川綾音、島田愛未、高田紗良、山森陽介(同3)
▽南砺市
梅本さくら(城端2)

◇高校◇
宮田萌花(雄山2)竹内胡乃、船木彩衣(富山北部1)松野桃花(富山西1)川畑美弥、柴原ななせ、廣田景久(同2)江幡茜里、大辻佑華、栗原拓未、小島彩季、坂下幸季、杉本かのこ、高田有望、瀧井桃佳、立浪結泉、谷嵐千桜、寺島莉琉、長田彩音、中西珠都、農作彩花、開愛捺、舟瀬菜絵、安田明都、山崎未羽(新湊2)安念愛唯、浦田璃紗、岡野梨夏、小沼越琉、尾山日菜、⻆間陽友、鎌田剛瑠、小原柊那、島澤美羽、多賀愛笑、千原大弥、百塚琴梨、山崎天音、山田実穂(高岡西2)犬島香澄、中村柚来、前田遥愛、柳清來音(伏木1)梅田朋華、西島茉依、本保采海、柳瀬太一(高岡南2)青木涼楓、岩木伯、大森愛理、越水梓紗、三埜愛奈、島内泰河、高藤凱、田近莉奈、棚田りょう、明神梨乃、横山舞、吉田出海(氷見1)旭紗矢果、有川千絢、安地友代、岩井琉々香、河合七海、淸原百那子、篠原瑠那、島田幸彩、中島早哉子、野村彩華、林瞬、藤川白麗、水野梅花、山田桃瑚(砺波1)天野友菜、稲垣勇斗、久々江仁躍、清水祐奈、杉本愛望、竹澤柊聖、田名田嵩明、土佐愛美、栃原梨花、豊本康平、中野光一朗、中村真之介、野村光河、藤林剛、宮原桜子、安川彩凪(高岡第一1)上泰智、虷沢飛向、窪珠梨、坂井慎之介、関拳聖、髙山蓮、藤井花鈴、馬渕心菜、横山侑史(同2)
 
家族de新聞スクラップ
マスクは、ふくろにいれてゴミばこへ
射水市放生津小学校2年
磯部歩夢(いそべあゆむ)君
うみがめマリンからのメッセージ「未来にのこそう青い海」
射水市歌の森小学校3年
林真帆(はやしまほ)さん
戦争なんか無くなればいい!
黒部市桜井小学校6年
柳川陽奈(やながわひな)さん
Go to 選挙!!
富山市神明小学校6年
廣󠄁世凌真(ひろせりょうま)君
娘に会うために
高岡市牧野小学校6年
布目真唯(ぬのめまい)さん
「お化けの引っ越し」が教えてくれた学びの視点
富山市芝園中学校1年
原薗歩未(はらぞのほのみ)さ
優しい嘘と生きてきた証拠
高岡市戸出中学校2年
稲場結奈(いなばゆいな)さん
家族de新聞スクラップ
はじめて見た石のはま
富山大付属小学校2年
島田健太郎(しまだけんたろう)君
はじめて知った身近なれきし~ばんどりそう動~
舟橋村舟橋小学校3年
當田峻大(とうだしゅんた)君
終息への願いin富山
富山大付属小学校4年
水野紗彩(みずのさあや)さん
Go Toで富山再発見!
高岡市戸出西部小学校5年
熊野遙真(くまのはるま)君
縮小された運動会
小矢部市石動中学校3年
西凪砂(にしなぎさ)さん
戦争体験 継承のために
富山大付属中学校3年
牧野悠希(まきのゆうき)さん
家族de新聞スクラップ
◇小学校◇
▽朝日町
五十里愛凜(さみさと3)野村祐衣(あさひ野6)
▽入善町
室香里(入善6)
▽黒部市
中嶋光誠(荻生1)中嶋将弥(同2)
▽魚津市
氏家銀志(道下5)
▽立山町
幾島莉呼(立山中央5)間野允稀(立山1)間野紬希(同4)
▽舟橋村
加藤大誠、轡田佳歩(舟橋4)
▽富山市
西濱美央(新庄3)山本和香(堀川南2)牧野悠香(同3)永森海琉(山室中部5)中林怜楽、山口穂波(速星6)尾崎咲仁、岸琳子、高野心路(八尾6)竹内渉(芝園3)細川心玖(同6)川北和佳、清水菜々子(奥田5)平野礼央奈(富山大付属1)奥望帆子、近藤しほ(同2)藏なごみ、坂本結香、竹本暁(同3)早矢仕綾(同4)草野亮輔、金野智仁、島田怜奈(同5)筧菜々子(同6)
▽射水市
棚田凌成(放生津1)大塚悠華(塚原1)定塚瑛大(小杉1)定塚乙葉(同3)村橋繫多(歌の森3)蓮沼誠史(中太閤山4)土合里歩(大門2)北華音(同6)
▽高岡市
蓑口悠介(博労6)順德葵子(西条3)荒﨑百華、谷田悠月(川原5)老田咲愛、釜谷光(同6)芹原沙來(能町5)黒田栞乃子(下関2)筏井誠也(野村6)野竣太(古府6)山本さくら(牧野1)槇谷一晟(同4)石灰大晟、山本耕太郎(同5)福島咲耶(南条1)川村遙花(同4)浅香樹(戸出西部6)
▽氷見市
横田悠真(宮田4)
▽砺波市
森桜賀(出町3)曽根大和(同5)平木柊成(同6)岩﨑愛(砺波東部5)窪田乃彩(砺波南部5)
▽南砺市
森田初音(福野6)

◇中学校◇
▽富山市
井澤遥(西部3)森田匠紀(北部2)中田果歩(岩瀬1)伊藤千遥(同2)栗林佑輔、砂原陸人、牧田紗季、八町麻由(呉羽1)
▽射水市
稲垣実奈、竹内伶、徳永貴久代、古田智也(小杉1)
▽高岡市
水巻暖(志貴野1)堺愛理(同2)浦田涼乃、小幡菜都希、砂川亜里咲、関戸藍(五位3)立浪侑奈、山﨑葵衣(国吉義務教育学校7)
▽小矢部市
池永歩奈美、堀井咲希、鷲杏琉(石動3)
▽砺波市
曽根恭華(出町3)
▽南砺市
上野茉子、中山陽菜(井波3)佐々木沙樹(福野3)
家族de新聞スクラップ
◇小学校◇
▽朝日町
金森一椛(あさひ野1)住吉美悠、田中亜弥、森田華音、吉田心優、吉野乃愛(同6)
▽入善町
寺林春香(黒東3)玉分俊仲(飯野1)田中晴人(入善2)由井和花(同3)青木虎徹(桃李5)尾山暖乃、野口愛奈(同6)
▽黒部市
石川日瑚(生地2)占部瑠人、尾花結衣、折田桃吾、川幅颯人、新村真凛(石田4)川上藍莉(中央1)谷本和奏、松本爽良(同6)
▽魚津市
山澤桃奈(よつば4)高瀬百華(道下3)佛田聖奈(同4)永井煌大、永井結大、林俊作(経田2)森田渉望(同4)矢谷柊太郎(同5)
▽滑川市
齊藤伸、酒井秀崇、藤田未風(北加積6)田中光紀(西部5)泉樹里、松井夕奈(同6)
▽立山町
十松直諒(立山北部3)中嶋小瑠璃(立山中央3)長坂優陽、西村桃奈、橋本圭一朗、溝口葵(同5)佐伯茜音、沢越空、戸田愛梨(高野1)
▽舟橋村
嶋田幸志郎(舟橋2)井上未徠、鎌田ゆりか、北山心春、嶋崎義大、竹腰康平、立松仁、濱野友都、細川爽来、宮﨑茜里、村本琴音、八ツ井千瑛、湯浅楓花、米沢篤哉(同4)
▽富山市
村井涼音(新庄4)荒川雄紀、佐藤優衣(山室中部1)高田璃恋(同2)高柳圭汰(同6)中町優里(蜷川3)川﨑彩愛(速星2)川﨑楓愛、竹中寧々(同5)楠和華、小林未季、島﨑夏花、玉生大貴、西井金四郎、長谷川和也、前田和奏(八尾6)大橋風花(五福5)篠原凛子(芝園2)深野莉世(同3)久保結衣花、竹内詩織、野上花鈴、升谷友莉乃(同5)伊藤音葉、小幡真悠子、門口凛、新畑朱莉、杉本かつら、竹島里桜、長澤柚貴、廣󠄁田美咲(奥田5)中村倖子(富山大付属1)江下喬亮、矢郷唯聖(同2)岡根実俐、水野壮哉(同3)佐藤美桜、宮﨑創士(同4)江下諒(同5)
▽射水市
飯田藍里、中町晄、中村美月(放生津3)片林未空(片口5)番匠希心(同6)今村凜、中波虎大郎、山屋勇真(金山5)高山穂波(歌の森2)高山千歳(同4)南賢志郎(大門1)安念芽生(同2)武田和佳奈(同3)稲垣音遥(大島6)
▽高岡市
磯島菜乃加、浦上綾乃、大塚結、北村心結、窪谷柊斗、小林虹心、作田蒼一郎、清水愛結花、中村陽向、林翼、古村斗和、山口奏奈、山﨑心美、要藤美生(福岡5)廣上結己(西条3)安藤咲来(同5)髙島紗弥夏(千鳥丘2)大庭悠生(同6)山田航太郎(木津5)青井友希、板本悠希、小林アミラ、定塚伊莉、鍋谷心花、山崎日果梨(川原5)坂井優斗、杉本優月、炭谷双葉、炭元惇汰、西井陽音(同6)二口蓮(能町3)野口達矢、牧野太一(同6)大方崇史(下関3)作田颯士(野村6)川村悠真(南条1)沢崎椿、進藤美南、関本仁実、野村美月(同4)佐野清花(戸出西部1)児嶋哲、南咲良(同2)穴田悠貴(同3)南宗吾(同5)森木雅紀(同6)
▽小矢部市
尾崎心南、水島綺優(石動5)
▽砺波市
浦瀧一花(出町1)髙信美咲(同2)井窪麻友、江刺瑚虎、北山心晴、清原大耀、白石紗弓、谷井叶夢、永島匠人、南部菜乃、根尾歩実、水口みくる、横山比沙乃、吉野花奏(同6)小林篤生(砺波東部3)小林和花(同5)水田崚也(庄東4)
▽南砺市
稲場美春、島田美登、清利椛乃、中嶋大善、西嘉山絢心、細川蓉、牧優花、松本珠希、三島楓叶、村田悠太朗、横山空奏、鷲尾萌衣(城端5)東倫愛、栗山璃音、高島綾花、中嶋乃々葉、長谷川響祐、松本千穂、森田輝咲、山道琉聖(福光南部6)

◇中学校◇
▽富山市
牛島来瞳、笹山雄生、手島里菜(西部3)伊野裕聖、入江佑衣、大澤匠、島乙葉、須川こころ、田伏莉歩(北部2)木谷陽香、八十島杏夏、山室眞子(新庄2)金本瑞姫、川合健太郎、河岸栞奈、瀨知いずみ、高森南菜、種岡千桜、林陽香、船田吏彩(岩瀬1)穴倉万愛、伊藤千遥、大村茉央、坂西容、古池しずく、松下昌太郎、三ツ井麻結、山﨑理央(同2)伊藤愛理、江尻柚菜、庄司舞耶(同3)谷口彩花(奥田3)薄島美羽(大泉1)老月優衣、桶川未來、近藤千沙妃、汐海拓真、庄司紗佳妃、杉本絢香、髙波杏衣香、高野蒼生、田畑恵睦、テルプゴヴァラータ、西村和貴、牧野虎太朗、森田実也子、山木紗希、吉井七菜(呉羽1)
▽射水市
小笠原由華、金瀬未聖、串田帆乃花、藤岡スミレ、前田智咲(小杉1)伊勢梨々愛、坂田結菜、柴田和佳、藤田紘彩、藤浪悠羽、古城心菜、六土琴音(小杉南3)
▽高岡市
岡谷涼風、角田晴紀、門島歩美、佐野史織、多賀愛希子、立浪瞳子、谷口璃弥、盤若なな子、福岡和香、藤田有、藤森美有、宮田舞那、山﨑絢香、山﨑初夏(高岡西部1)小森天翔(同2)佐野恭正(同3)内田菜々美、岡島圭柊、芹原得吏、西島もも(志貴野2)上子悠太(同3)太田美空、杉野すみれ(伏木1)城光寺ななみ(同2)中澤日哉、米島咲希(五位1)岩﨑七海、早苗美緒、辰島穂花、田名田花、鉄村一真、福田妃南子、山田百花(同3)川﨑優(中田2)浅野咲都、堺谷啓史(同3)小久保彩音、関澤枇那、南結衣(国吉義務教育学校7)稲元佑威(同8)磯部暖楓、関澤那菜、関澤真由、長谷川加奈、平田圭吾、松村あおい、山内さくら、和田穂乃花(同9)
▽氷見市
角井夏帆、喜多桃子、坂下遙、竹島希美、東海宗太郎、西川理央、日詰心優、松本百笑、宮腰みこ、森岡一平(西條2)
▽小矢部市
大岩海斗、鍛治澤遥、佐伯真由子、白井歩奈、蓮谷藍、古村未来、水髙星奈、向井花笑(石動3)
▽砺波市
原瑛慎(庄川2)
▽南砺市
齊藤世怜、須河郁心、松田侑佳、山岸吏玖(井波1)加藤あい、紺野蓮実、佐竹智英、柴田莉緒、山崎結加(同2)江川優太、岡空芭、緒方刹那、樋爪悠人、長谷川舜、三角鮎莉、光田歩未、山田瑚々菜、山本真優(同3)
▽茨城県
安藤麗、鈴木理沙(波崎第二2)
NIE学校賞

▽小学校
朝日町あさひ野小、舟橋小、富山市八尾小、射水市金山小、高岡市福岡小、高岡市川原小、南砺市城端小、南砺市福光南部小

▽中学校
入善中、富山市北部中、富山市岩瀬中、富山市呉羽中、射水市小杉南中、高岡市高岡西部中、高岡市志貴野中、高岡市伏木中、高岡市五位中、高岡市戸出中、高岡市中田中、氷見市西條中、小矢部市蟹谷中、砺波市庄川中、南砺市井波中

▽義務教育学校
高岡市国吉義務教育学校

▽高校
新湊高、高岡西高、氷見高、砺波高、高岡第一高

講評

【白江勉氏(県小学校長会長)】

 新聞を手に取ることや自分なりの表現で伝えようと思ったことが、はじめの一歩です。この一歩を踏み出せたことで、新聞や自分と対話し、思考を巡らすことにつながったはずです。
 皆さんの心の中にある思いが素直に表現されている作品に出合い、審査の際は胸が熱くなりました。新聞を読んで感じたことや考えたことを文章やイラストなどで表現したり、疑問に思ったことを家族に尋ねたりと、努力の跡も垣間見られました。また、新聞を読んだことをきっかけに、自分のこれまでの体験と関連付けて考えた人もいました。
 これからも新聞を通じたさまざまな出合いを大切に、感じることがあったら表現する、行動する人であってほしいと思います。ますますの活躍を楽しみにしています。

【金谷真氏(県中学校長会長)】

 審査の際は、家族や人とのつながりをはじめ、日本語そのものの良さや奥深さなどについて考えた作品が目に留まりました。また、世相を反映した記事を基に、自らデータ収集を行い、自分の将来の生き方を考える中で、決意や願いを述べている作品も見られました。
 「知は力なり」という言葉があります。多くの知識を獲得し、活用することで、豊かな人生を送ることができます。新聞からは、日本や世界の動き、身近な地域の出来事など、さまざまな情報を得ることができます。日々、知らなかった世界や多様な考えと出合うチャンスと隣り合わせなのです。今後も新聞に親しみ、広い視野から情報を収集して、物事を捉えたり、考察し表現したりする力が培われることを期待しています。

【本江孝一氏(県高校長協会長)】

 応募作品を見ていると、皆さんが新聞記事に興味関心を持ったり、あるいは日頃から考えていることに関連する記事を見つけたりして、読み込んでいる様子が目に浮かびました。さらに、自分の意見をまとめるだけでなく、これから自分がどのように行動していくべきかということにまで触れられていました。記事が皆さんの生活に大きな影響を与えていることが感じられました。
 最初は興味のある記事から読み進めていくと思いますが、年齢を重ねるごとに興味のある分野が増えていく自分を発見することもあるのではないでしょうか。また、新聞記事を読み比べることで新たな発見があるかもしれませんね。ぜひ、そんな体験を積んで、人間性の幅を広げてください。

コンクールの経過

【第17回わたしの新聞コンクールの経過】

 本年度の「わたしの新聞コンクール」は、「家族de新聞スクラップ」と「新聞感想文」の2部門で応募を受け付けました。
 気になる記事を切り抜いて家族や友人と意見をまとめる「家族de新聞スクラップ」に1,881点、記事を読んだ感想や新聞について思うことをつづる「新聞感想文」に1,607点の計3,488点が寄せられました。県内116校のほか、県外1校からも応募がありました。
 コンクールは北日本新聞社と、北日本会(北日本新聞販売店会)が毎年実施しており、本年度が17回目です。今回は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、取材活動を行う「かべ新聞」部門は中止したほか、学校の夏休み短縮に伴い募集期間を例年より2カ月延長しました。
 審査は、白江勉県小学校長会長、金谷真県中学校長会長、本江孝一県高校長協会長、NIEアドバイザーを務める県東部教育事務所の中英美主任指導主事、能瀬明指導主事らが担当しました。2部門合わせて金賞14点、銀賞13点、銅賞155点、入選540点を選出。NIE学校賞には29校が輝きました。
 このホームページでは、家族de新聞スクラップと新聞感想文それぞれの金賞、銀賞作品のほか、銅賞、入選、NIE学校賞の名簿を掲載しています。





主催/ 北日本新聞社、北日本会(北日本新聞販売店会)
後援/ 富山県教育委員会、富山県市長会、富山県町村会、富山県各市町村教育委員会、富山県高等学校長協会、富山県中学校長会、富山県小学校長会、富山県私立中学高等学校協会、富山県PTA連合会、富山県高等学校PTA連合会、富山県児童クラブ連合会、富山県ケーブルテレビ協議会
お問い合わせ 北日本新聞社読者局 TEL.076-445-3351 (平日9〜17時)