富山市 新庄北小学校1年 新田 瑚夏(にった こなつ)さん
ヤギが工場の草刈りの記事を読んで
8月10日は、わたしの7さいのたんじょう日です。たんじょう日のしんぶんから、おもしろいきじがないか見てたらかわいいヤギさんのしゃしんをみつけました。わからないかんじもあるので、ママといっしょにきじをよみました。
ヤギさんは、あれたとちやじゅうたくだんちやこうじょうなどでくさをたべてきれいにしていることをしって、まるでそうじきのようですごいなーとおどろきました。
ヤギさんは、「あるぺん村」からつれてこられているそうで、わたしはおじいちゃん、おばあちゃんといったことをおもいだしました。うまやヤギさんがいっぱいいて、にんじんのえさやりをしたことがあります。たくさんのヤギさんがにんじんがほしいとわたしにちかよってきておいしそうにたべてました。そのわたしもしっているヤギさんがおそうじやさんになってくさをたべてとちをきれいにしていることをしって、うれしかったです。
また「あるぺん村」へいって、ヤギさんたちに「えらいねー、きれいにしてくれてありがとう」といってあげたいです。
黒部市 三日市小学校4年 長谷川 雄大(はせがわ かずひろ)さん
食料自給率の記事を読んで
「えっ、日本の食卓の半分以上の食品が外国産なの?」と、正直驚いた。なぜなら、ぼくのお母さんは国産にこだわっていて、わが家のごはんは九割以上国産だから。外国産は、朝食に食べるキウイぐらい。本当に世の中の食べ物は外国産なのか知りたくて、人気のスーパーへすぐ行って産地をたしかめた。
入り口の果物コーナーは、メキシコのメロン、オーストラリアのオレンジ、アメリカのレモン、フィリピンのパインなど、輸入果物がずらっと並んでいた。桃、ぶどうは国産だが値段が高い。野菜売場は地場産コーナーがあり、国産が多かったが、すぐ真横にげき安輸入野菜が並んでいると、お客さんはそっちばかり選んでいた。ブロッコリーは一個百八十円と七十円で百円違うし、ニンニクは一個二百円と三個七十円。だれがこの高い国産ニンニクを買うのだろうと思うくらい。
極めつけは、カナダ産麦茶、アメリカ米と中国米原料のせんべい、アメリカ大豆の納豆、かん国わかめにチリの鮭。おそろしいことに、日本食が外国食になっていた!!
「国産の食品を探すのは大変なのよ。小麦としょう油は遠いスーパーまで行って買っているんだから。」とお母さんが言った。
自給率を上げるには、作ること、売ること、買うこと、食べることの四つとも大事だと思う。農業・漁業をする人ががんばれる様に、国に工夫してもらいたい。売る人は「安いから、売れるから。」よりも「安全だから、食べてほしいから。」という気持ちで売ってほしい。買う人のためには値段の差を小さくしないといけない。最後にぼくたち子供。好ききらいを言わずに日本のお米やお魚をもりもり食べよう。
国産の日本食を食べて元気になろうよ。
富山市 堀川中学校1年 松田 わこ(まつだ わこ)さん
6割が「食べる力」回復の記事を読んで
私はこの記事を読んで、食べることが難しくなった高齢の方が、再び食べられるようになるため力を合わせるチームの皆さんの情熱にとても感動した。私は、私にも何かお手伝いできることはないかとじっくり考えてみた。そして、できそうなことをいくつか見つけた。
私は料理が大好きで、将来の夢は自分のレストランを開くことだ。去年の夏、新聞で「おいしく楽しく病院食」という記事を読み、おいしくないと思われがちだった「病院食」が改善されていることを知った。私はレストランに行くことのできない入院中の患者さんが、素敵な食事の時間を過ごせるようになったと知り、安心した。そして今年、その「病院食」も食べることができない高齢の患者さんの、食べる機能を回復する取り組みの記事に出会い、私は心が温かくなった。
記事によれば、のどの機能低下や、ビタミン欠乏の場合は、のどのリハビリや服薬が、認知症の場合は、服薬により意識レベルを上げることが効果的だったそうだ。私にできそうなこととして、患者さんののどを食べ物が通りにくいとしたら、できるだけスムーズに飲み込めるよう、調理法を詳しく研究したい。食べ物の細かさや柔らかさだけでなく、飲み込みやすい温度や、飲み込みたいと感じる味付けも極めたい。また、認知症の方には、食べ物を「食べたい」と思ってもらえるよう、五感を刺激する工夫をしたい。まず、家族の方から、その人が昔好きだった食べ物を聞く。例えば、ウナギだと言われたら、患者さんのそばでウナギを焼いて、そのたまらない匂いを嗅いでもらう。もし、そうめんだと聞いたら、患者さんの耳の近くで、みんなでそうめんを思い切りいい音ですすり、そうめんはおいしいということを思い出してもらうのはどうだろう。「いとこ煮」や「よごし」など、なつかしい郷土料理の勉強もより必要になりそうだ。
私はお医者さんではないので、薬やリハビリの知識はない。しかし、食べる喜びをプレゼントしたいと思う気持ちは同じだ。私は、料理が少しでも誰かの役に立つのなら、どんどん腕を磨きたいと思う。
この夏、私の夢がまた大きくふくらんだ。それは食べる力を取り戻し、元気になった高齢の方が、私のレストランにディナーを食べに来てくれるということだ。南砺市民病院のチームの皆さんの熱意は、きっと多くの患者さんに届くと思う。私は、健康なお客さんも食べる幸せを取り戻そうとしている「未来のお客さん」も大切にしたい。この記事は、レストランを開く前に、「食べる」ということをもう一度ゆっくり考える機会を、私に与えてくれた。
富山高校1年 松田 梨子(まつだ りこ)さん
時をつなぐ新聞
幅広い年齢層の人が毎朝読む新聞。それぞれの読者には、それぞれのお気に入りのコーナーがあると思う。私は、毎月28日の北日本新聞に掲載される「北日本文芸」を楽しみにしている。このコーナーには、俳句や詩を鑑賞する楽しみがあると同時に、参加する喜びもある。私は、小学2年生の時に、初めて短歌を投稿し、小学5年生の夏からは、毎月投稿を続けている。以前の私は、このコーナーの熱心な読者というわけではなかった。ただ、毎月28日の朝は、近所の方から「短歌、見たよ」とたくさん声をかけてもらったり、学校の友達から「今朝の短歌、いいじゃん」と言われたりして、照れくささ8割、うれしさ2割という感じだった。私は、この北日本文芸から、続けることの大切さを教えてもらったと思う。毎月の締め切り日は、案外すぐにやってきて、作品が出来なくてあわてることもあった。また、親に反抗したくてたまらない時期には、同じ趣味を持つ母への反抗心から、ギリギリまで葉書を書かない月もあった。しかし、今、新聞のスクラップ帳を開くと、その時その時の自分自身が、毎月の短歌の中に存在していて、いつでも再会できるのだということに気がついた。小学6年生の私の、立山登山の歌。中学2年生の私の、「14歳の挑戦」の歌。それらは、今思い出して歌に詠もうと思っても、決して詠むことはできない。毎月一枚の葉書を書くことで、私は自分と素直に向き合うことができた。北日本文芸は、私に、一つのことを積み重ねていくという貴重な経験をさせてくれたのだ。
また、新聞は、「未来の自分」と出会える場だとも思う。私は、中学3年生の冬、高校受験が目前に迫り、不安になっていた時、よく新聞で、高校生について書かれた記事を読んでいた。例えば、全国大会で、劇的な逆転勝利をおさめた高校サッカーの記事には、仲間を信じて全力でプレーする選手の様子が詳しく書かれていた。私は、「高校生はすごい」と感じ、私も高校生になったら、全力で何かに打ち込みたいと思った。スポーツ以外にも、ものづくりやボランティア活動に取り組んでいる高校生の記事も繰り返し読み、高校生になった私を、いく通りも楽しくイメージしていた。新聞は、とても公正な目で書かれていると思う。どれがいいとか、どれが悪いとかではなく、選択には幅があり、自由があるのだということを教えてくれる。高校生になった今、私は、素敵な大学生や、社会で働いている人の記事を探すようになった。100歳を超えていても、健康で活動的なおばあちゃんの記事や、勇気ある行動をとった方の記事にも心打たれる。こうありたいと思う「未来の自分」との距離は、縮まりそうでなかなか縮まらない。
さて、未来に向かって進んでいかなければならない私達だけれど、なつかしい母校について書かれた記事を見つけると、心がほっこりする。学校では、その記事について同じ出身校の友達と大いに盛り上がる。当時のなつかしい話をしていると、私達は小学生にも中学生にもなれるのだ。未来を真っすぐ見つめながらも、時には後ろをふり返り、自分たちが歩いてきた足跡を、確かめてみるのも大切かも知れない。それが、母校の記事や、私の場合は、短歌なのだと思う。私は、なつかしさの中にある温もりが、一歩前進するための大きなエネルギーになると信じている。
高校生の私達は、これから様々な選択をしながら、大人に近づいていくだろう。新聞を毎日読み、「未来の自分」との約束を一つ一つ果たしながら、私は私の道を行きたい。
高岡市 戸出西部小学校2年 吉野 有海(よしの うみ)さん
「立山一帯きれいに」の記事を読んで
きょ年、私が一年生のときに、はじめて立山と山をしました。とてもたいへんだったけれど、ちょう上までのぼれたことは、とてもうれしく、こころにのこってしるおもい出です。「立山」と「きれいに」というもじが新聞に書かれていたので、私はこのきじが気になりました。
立山にのぼってあるいていくときに、「チングルマ」がたくさんさいていました。私の家のまわりでは見たことがない、かわいい花でした。ほ道にたっていたかんばんに、高山しょくぶつについてかかれているのを見て、立山のように高いところにしかさかない花だとしりました。こんなにめずらしい花がじぶんのすんでいる、とやまけんにさいているとはうれしいです。ライチョウも、とてもめずらしいとりです。ライチョウを見ることもとてもたのしみにしていたのですが、見ることができず、ざんねんでした。こんどのぼったときには、見られるといいなとおもっています。立山には、めずらしい、きちょうな自ぜんがたくさんあります。立山は、私たちにめずらしいものを見せてくれたり、きれいな水やくうきをあたえてくれたり、たくさんのことをあたえてくれています。この立山を私たち人げんが大切にしていくことは、とてもだいじなことだとおもいます。
きじには、ごみひろいや外来しょくぶつをとることをしたと書かれていました。とてもよい活どうだと思います。でも、私は、山をのぼる人たちみんなが、ごみをすてないというマナーをまもったり、日ごろから、ガイドさんなどにおしえてもらい、外来しょくぶつをとったりするというふうにしていくことが一番よいのではないかなとおもいました。と山けんの人として、これからもみんなが立山を大切にしてくれるといいなと思っています。
高岡市 西条小学校3年 北山 陽彩(きたやま はるあ)さん
かんこう客にフルート法話の記事を読んで
「かんこう客にフルート法話」の記事を読んで私が習っているバイオリンの先生の言葉を思い出しました。先生は私に
「音楽は、言葉が通じない相手とも心を通わすことのできるま法のコミュニケーションになるのよ。」
と教えてくれました。
記事では、お寺の住しょくさんが、法話を聞きに来た人のためにフルートのえんそうをして、いやしの時間になるよう毎週行っているというものでした。
私は、この記事を読んでとてもステキなことだと思いました。たとえば友達から
「お寺へ法話を聞きに行かない?」
とさそわれたら私は、
(お寺へは、おはかまいり位しか行ったことがないし、ちょっとこわいイメージもあるから行きたくないなあ。)
と心の中で思いそうです。でも、
「お寺で、法話のあとにフルートのコンサートもあるから行ってみない?」
とさそわれたら、何だか楽しそうに感じて
「行ってみたい!」
と答えると思います。
もし、お寺でコンサートがあれば、こわいイメージも変わるし、もっと身近なものに感じるきっかけになりそうです。
音楽がきっかけで、今までのイメージが変わるってステキです。音楽は知らない世界のとびらを開けるきっかけにもなるんだと思いました。
私も、もっともっとバイオリンの練習をがんばって、この記事の住しょくさんのように、私のひくバイオリンが、何かと何かをつなぐきっかけになったらいいなぁと思います。
射水市 太閤山小学校5年 桑原 廣太郎(くわはら こうたろう)さん
太閤山に新しい風を!
夏休みのある朝、ぼくはパラパラと新聞をめくっていたら、思わず声が出た。
「あっ、ぼくらの住んでいる太閤山に新しい宅地ができる。」
昨年春、新聞に太閤山に関する連載記事があったことを思い出し、すぐにぼくは近くの図書館に向かった。
ぼくは、今、太閤山小学校に通っている。学校でこの土地について調べた。戦国時代に後の「太閤」とよばれた豊臣秀吉が富山城を攻めた際、陣を張ったことから「太閤山」の名がついたらしい。また、連載記事を読むと五十年ほど前、それまで丘陵地であったこの土地を、当時の富山県知事が、ニュータウンを造ったことがわかった。富山新港の周辺に大規模な工場が造られ、そこで働く人々と家族が過ごす住宅を確保することが必要であったためだ。そのころは若い世代の人達がたくさん住んでいて、太閤山小学校にも多くの児童が通っており、にぎやかであったと記事にある。しかし、それから五十年ほどたった今、高齢化が進み、一人ぐらしの人や体の不自由な人が増えてきた。そんな人たちは、エレベーターがない、スロープがないといった不便を感じている。一方、若い世代の人たちも、高齢者に比べ少なく、現在の太閤山小学校に通う児童も年々少なくなってきているなど問題がたくさんある。だから、「太閤山に宅地開発」という記事を見つけた時、ぼくは少し、むねが高鳴った。これで、ぼくらの学校にも児童が増え、にぎやかになるだろう。そして、新しい団地を造る際には、高齢者のためのエレベーターや車いすなどのスロープをつけるなど、工夫をしたまちづくりをしてほしいと願う。そして、太閤山小学校に通う児童が増え、若い世代もお年寄りも元気に、いつまでもにぎやかで明るく過ごせるような、そんなまちづくりになることをぼくは期待しながら、新聞で記事を見つけて以来、新しく宅地開発される場所を見ている。
「太閤山に新しい風を!」
富山市 神明小学校6年 平林 由羽(ひらばやし ゆう)さん
富山へ学童疎開 綿引さんの記事を読んで
衝撃。そして、想像もつかないほどの悲しさと苦しさ。
わたしが綿引さんの記事を読んで感じた事はこの三つだった。正直な所、わたしは戦争のこわさ、そしておそろしさを分かっていると思っていた。
しかしそれはちがっていた。それが分かったのは、記事にかいてあるこの言葉だった。
「戦争は全てを奪う」
わたしはこの言葉を見たしゅんかんドキッとした。全てを奪うとはどういう事なのだろう。その答えをわたしなりに考えてみた。
綿引さんは戦争で大切な両親を失い12歳でこじになった。そして生家は東京大空しゅうで焼き払われ、唯一の肉親だった弟とも戦後間もなく生き別れたと記事に書いてある。わたしはここの部分を読んで、わたしと同じ年で両親をなくし、弟とも生き別れたと思うと、とても心がふるえてきそうだった。
わたしの家は両親と姉がいる。わたしが今両親をなくし、姉とも生き別れると想像すると、悲しさはもちろん、記事にも書いてあるように、わたしは戦争を一生恨んだかもしれない。それはだれでもそうだと思う。自分にとってかけがえのない存在までも奪ってしまう、それが「戦争は全てを奪う」という事なのかもしれないとわたしは思う。そして、特に戦争は全てを奪い、悲しみだけを残すという言葉がとても衝撃的であり、ずっと心に残っている。だから綿引さんと同じように、これからずっと戦争が無いようにと心から願っている。そして戦争を知らないわたしにできる事は何かを考えて、せめて毎年、富山大空しゅうのあった八月一日、広島・長崎に原子爆弾が落とされた八月六日・九日、終戦記念日である八月十五日くらいは戦争で亡くなった方の事を忘れずに平和について考えたい。
黒部市 高志野中学校2年 米田 怜央(よねだ れお)さん
「貧しい子日本で増えた」の記事を読んで
「貧しい子ども」というと、僕がまっ先に思い浮かぶのはアジアやアフリカなどの発展途上国だ。ストリート、チルドレンや農園などで働く子どもをテレビでよく目にしてきたからだ。
記事によると、日本の子どもの貧困率は約16%で、六人に一人の割合となり、先進国の中では貧困率が高い。親の収入が少ないと、子どもに様々な悪影響が生じるのは当然だ。病気になっても病院に行けなかったり、学校で必要な物を買えなかったりする。一番深刻なのは、進学したくてもお金がないため、子どもが早くから働くことになるが、低収入の仕事にしか就くことができず、大人になってもまた貧困という貧困の連鎖が起こることだと思う。
貧困率の低いデンマークやフィンランドなどの北欧と日本ではなにが違うのか調べてみた。北欧では、家族関連や教育に対する公的支出が大きいのに対し、日本は子どものための公的な教育支出は世界最低レベルだということがわかった。日本はお年寄りに対する制度を整えてきたが、これまでは子どもに対する支援が少なかったのだと思う。そのために今の少子化問題も起こっているのだろう。
どのような対策をとるべきなのか、国は真剣に考えなければならない。僕は国が貧困家庭をサポートする法律を早く成立させるべきだと思う。現在も奨学金制度があるが、借りたお金を返済しなければならない。それとは違う返済しなくていい給付型の奨学金制度をとり入れるのはどうだろうか。また国レベルではなく、もっと身近な地域でもできることはあるはずだ。例えば、ボランティアの人たちで、塾に行けない子どもたちの為に、無料で勉強を教えたり、材料を持ちよって料理を作って食べさせたりする場所、サポートセンターのようなものを作るのだ。
貧しい子どもにとって一日一日を生きぬくのは大変だと思う。子どもたちの心のよりどころになるような場所を提供するのがいいと思う。みんながこの問題にもっと関心をもって何ができるかを考えるべきだ。僕はお年寄りも子どもも安心して暮らせる社会が実現することを望んでいる。
射水市 小杉中学校3年 枡谷 海沙(ますたに みさ)さん
"富山発、世界へ。「エボラ治療に富山化学新薬」の記事を読んで"
富山といえばくすり、くすりといえば、富山。
その富山発のくすりが世界の人々に新たな希望を与えようとしている。富山県の富山化学という企業が開発した抗インフルエンザ薬が、エボラ出血熱に効く可能性があるというのだ。
エボラ出血熱という感染症は、血液や体液の接触によって感染し、致死率は、なんと最高九十パーセント。有効なワクチンや治療法が見つかっていない、脅威ともいえる病である。現在、西アフリカを中心に大流行しており、史上最悪の規模で拡大を続けて、深刻な問題となっているらしい。
いったいどれだけの人が、いま、苦しんでいるのだろう、恐怖や不安にさいなまれているのだろう。このような病気に立ち向かう唯一の手段として、富山のくすりが力を発揮するというのは、富山県人としてとても誇らしい。
その薬は、「ファビピラビル」という。まだ治療に使うことはできないが、承認に向けて動き出している。早く、一日でも、一分でも、一秒でもはやく。それによって救われる命は数知れないはずだ。多くの人が待っている富山からの薬が、希望の光となって人々の手に届けられることを願わずにはいられない。
調べてみると、富山で開発、研究されている新薬は、ほかにもいろいろあるらしい。認知症治療剤、抗リウマチ剤、抗菌剤など、世の中で必要とされている新しい薬がどんどんこの富山から生まれるなんて、すごい。また、旅行などの際、旅先のドラッグストアなどで、富山で製造された薬を見かけることがよくある。自分のことでもないのに、なんだかうれしく、こそばゆいような気持ちになり、思わず手にとってしまうのは私だけだろうか。「ほら、富山のくすりやよ。」と誰かに話したくなるのだ。
私は、将来、医療に携わる仕事に就きたいと思っている。一人の生命を救うために、何人もの人が協力して全力を尽くす。覚悟のいることだと思うけれど、すばらしいと思うし、強くあこがれる。「医療に携わる」と一言で言っても、いろいろな仕事がある。医師や看護師、薬剤師、それから、研究者など様々だ。しかし、目指すところはみんな同じ、「一つでも多くの命を助けること」であるはずだ。
ここ富山でも、そんな思いを抱き、道を切り開こうとしている人たちがたくさんいる。富山から世界に向けて、いく筋もの光が、そしてたくさんの優しさがアーチのように放たれているのだ。その一つが、この新薬「ファビピラビル」だ。そして私も、そのアーチを架ける一員になりたい。この富山から、人々に希望の光を届けたい。
氷見市 氷見高校1年 中田 理沙(なかだ りさ)さん
人とのつながり
「閉校」私が六年間通った小学校で、よく耳にしていた言葉である。次の新聞記事は閉校に近づく中、また閉校した後も多くのことを学ぶことのできた私の母校を思い出させてくれた。
閉校後も住民と強い絆。西広谷小学校の児童とその付近の住民を取り上げた記事である。西広谷小学校は、市全域から通学できる特認校を採用された。しかし、校区域内の児童数の減少は止まらず、今年三月で閉校となった。閉校後も、住民との交流や自然と触れ合う活動を継続させようと児童や保護者がグループ「ひろたんの森」をつくった。交流会を定期的に実施し、タケノコ掘りやホタル鑑賞会などを行い、また今月には、竹細工と流しそうめんを楽しんだ。それらは住民との絆をより一層深めるものだったと思う。保護者や住民は「学校を通じてできた絆を大切にしていきたい。」と話している。これは旧西広谷小学校だけではなく、全ての学校に対して言えることだと私は思う。
私の母校の旧仏生寺小学校でも、地域の人との交流の機会を多く取り入れていた。学校の近くの山で登山をしたり、学校祭では地域中の人が集い、学校での活動を発表したりした。また普段の学習の中でも、ハトムギやしいたけの栽培、山菜採り、田植え、稲刈りなど地域の方々に協力していただいて、できる学習ばかりだった。中でも、印象深いのは、ハンドボールの活動である。仏生寺小学校は三年連続で、全国大会の決勝戦の舞台に立った。その時に毎年、保護者や私たちの身回りの方など、多くの人たちが暑い中、遠くまで応援にかけつてくださった。とても勇気づけられたのを今でも覚えている。試合が終わり、帰ると夜の遅い時間にもかかわらず、会場を説営し、祝福会まで開いてくださった。その時、改めて地域のつながり、保護者の方々の温かさ、ありがたさを強く感じることができた。
私は中学校・高校とハンドボールを続けているが、仏生寺小を卒業し、学校が閉校になった今でも地域の方に会うとよく、
「ハンドボールがんばっとるけ。」
「よくがんばっとるね。えらいわ。」
などと声をかけてくださる。それらの言葉はいつも私をがんばろうという気持ちにさせる。
旧西広谷小学校と住民の絆の記事は、私にこのようなことを思い出させてくれた。自分がやることを応援し、協力してくれる、そんな人たちに心から感謝したい。そしてこの温い地域が続くよう、私は自分のできることをしようと思う。
射水市 新湊高校2年 福田 晃子(ふくた あきこ)さん
「記者ぶろぐ」を読んで
「記者ぶろぐ」普段新聞をよまない私だが、「ぶろぐ」という文字によりよんでみようと思った。さらに、見出しの「レトロ食堂」に興味が沸いた。
記事によると、「レトロ食堂」とは富山市にある日本海食堂のことである。一九六七年創業、現在の店主種田茂さんは二代目であり、一九九八年に継いだ。種田さんは、珍しいものや、古いものが店の特長になると考えた。そのため店にはほうろうの看板、半世紀前の国産業用車、レコードプレーヤー、白黒テレビが並ぶ。白黒テレビはアナログ放送が終わるまで見れたという。今でも月一回は、のみの市に足を運び、掘り出し物を探している。「経済的には無駄が多く、手間もかかる。でも、アナログな物を愛する心のゆとりは持ち続けたい」という種口さんに対し、記者が「技術革新が進む便利な世の中だが、変化の速さについていくのを難しく感じることも多い。インターネットや携帯電話がなかった時代の品々に囲まれながら、種口さんの言葉にうなずいた。」と述べている。
この記事をよんで私は、自分の生活を見直した。夜遅くまで友達とメール、食事中も携帯をさわっていて、家族との会話も減った気がする。暇があればスマートフォンでSNSやゲーム等、手軽さに頼りすぐ検索。紙辞書を使わなくなってきた。もちろん、技術の進展により役立つこともたくさんある。しかし、最近ではながらスマホによる事故、SNSによる事件が多発している。また、コミュニケーション能力不足、運動不足も問題視されている。このように、技術革新が私たちに必ずもプラスになっているわけではない。
この新聞記事では「ぶろく」という若い人も親しみがある言葉を使用し、新聞から離れている若者たちに少しでも新聞に関心をもってもらいたい。そんなメッセージがあるように思えた。インターネットや携帯電話でニュースをみるのは便利だが、地域のニュースがあり、多くの記事がある新聞は魅力的だ。
昔ながらのものに触れ合うことで、人それぞれ思い出すものがあるはずだ。それはレトロ食堂だけでなく新聞にもあてはまる。そんな風に昔を思い出す時間があってもいいのではないだろうか。
3部門を通じて、応募数、応募率、入賞数、取り組み方などを考慮して21校を選びました。
▽小学校
魚津市経田小、魚津市村木小、富山市水橋中部小、高岡市東五位小、高岡市能町小、高岡市伏木小、高岡市平米小、射水市大島小、砺波東部小
▽中学校
立山町雄山中、富山市和合中、片山学園中、射水市新湊中、砺波市庄川中、南砺市平中
▽高校
氷見高、新湊高、南砺福光高、高岡第一高、桜井高、富山高
■総評
忠田 憲美 北日本新聞社編集局長
新聞は身の回りの出来事や社会を見つめるきっかけになります。心に残った記事から感じ取ったことを深め、伝える力が問われるのが「新聞感想文」部門です。記事を読んで問題意識を高め、実体験に引き寄せて発する言葉には、読む人に共感してもらえる力がありました。
「スクラップ」はお気に入りの記事を切り抜き、感想をつづる部門です。記事を読んだ驚きを素直につづった作品もあれば、家族との絆を見つめ直した作品もありました。家族のコメントは心が温まります。「かべ新聞」は取材や執筆のみならず、絵や写真、見出し、レイアウトなど総合的な表現力が問われます。いかに伝えるかを真剣に考えたレベルの高い作品が、今回も数多く寄せられました。
富山県NIE推進協議会会長
富山県小学校長会会長
射水市立小杉小学校校長 長井 忍 氏
各部門の多くの作品から、日常の出来事や様々な人の生き方を見つめる豊かな感性と知性を感じることができ、とても頼もしく思いました。
「かべ新聞」では、様々な視点からテーマに迫り、見出しや紙面構成、掲載写真など工夫して、取材・調査内容を分かり易くまとめてありました。「新聞感想文」では、記事から過去の体験や今の姿を思い描き、将来の姿に思いを巡らせながら感想を綴る姿を行間に感じ取ることができました。「家族de新聞スクラップ」では、切り抜いた記事に寄せる気持ちや家族の方のコメントから、あたたかな家族のつながりを感じ味わうことができました。
これからも、新聞記事との出会いが、多くの子供たちの世界を広げ豊かなものにしていくことを期待しています。
富山県中学校長会副会長
砺波市立出町中学校校長 大浦由吉秀 氏
新聞は人の心と心、そして世代、社会とをつなぐ。今回の審査で強く感じたことです。最終審査に残った作品は、どれも自らの家族や故郷を誇りに思い、それを新聞や感想文にしていました。だから読んでいて爽やかで明るい気持ちにしてくれました。どの作品にも家族や故郷との絆がありました。文字は温かいものです。作者の家族や地域の人々との心の交流を体温という温かさを持って届けてくれます。
入善西中の西島さんのスクラップ作品には祖父との心の交流があり、福野中の鶴居さんの壁新聞には故郷福野への強い想いが感じられました。松田さんの感想文には、松田さんの夢を応援する家族の姿が行間から滲み出ています。素晴らしい作品に出逢えたことに感謝しています。
富山県高等学校長協会会長
富山県立高岡高等学校校長 佐倉正樹 氏
本年度の高校生の作品は、上位賞から入選まで、いずれもしっかりと自分の有り様を考えるものが多く、感心し、また、安心しました。現代は、科学技術による便利さ故の危うさを抱えた社会です。そのような社会を作ってしまったのは大人の責任ですが、そうであるからこそ若い人は、どう生きていくべきかを一生懸命考えてくれている。作品からそのように感じました。
応募作品の中の「技術革新が私たちに必ずしもプラスになっているわけではない」、「自分を応援し、協力してくれる人たちに心から感謝したい」、「未来の自分との約束を一つ一つ果たしながら、私は私の道を行きたい」という言葉が印象に残りました。若人のこれからに大いに期待したいと思います。
【第11回コンクールの経過】
小学生から高校生を対象とした「第11回わたしの新聞コンクール」に、ことしもたくさんの作品が寄せられました。わたしの新聞コンクールは、調べたことを新聞の形で発表する「かべ新聞」、読んだ記事の感想や考えを表現する「新聞感想文」と、ことしから新たに、記事を切り抜いて家族と意見をまとめる「家族de新聞スクラップ」が加わって3部門になりました。
集まった作品は環境問題や来春開業する北陸新幹線、地域の祭りなど多彩なテーマで、問題意識を持って調べたり、自分の体験に照らし合わせて考えたりと、それぞれが豊かな感性と好奇心で取り組みました。
コンクールは北日本新聞と北日本新聞販売店でつくる北日本会が毎年実施。個人やグループで作った「かべ新聞」に109校1364人、「感想文」に128校2614人、「スクラップ」に126校1117人の応募がありました。
3部門とも10月31日に北日本新聞で最終審査を行い、県NIE推進協議会長の長井忍県小学校長会長、大浦由吉秀県中学校長会副会長、佐倉正樹県高校長協会長のほか、県NIEアドバイザーで県東部教育事務所の水野昌之主任指導主事、岩田理恵子指導主事が審査しました。
審査の結果、3部門合わせて金賞11点、銀賞20点、銅賞230点、入選346点のほか、学校賞21校を選出しました。11月16日に、富山市婦中町の北日本新聞越中座で表彰式を行いました。
この特集では、かべ新聞、感想文、家族de新聞スクラップのそれぞれ金、銀、銅賞作品261点と、入選者の名簿を掲載しています。
主催/ | 北日本新聞社、北日本会(北日本新聞販売店会) |
後援/ | 富山県教育委員会、富山県市長会、富山県町村会、富山県各市町村教育委員会、富山県高等学校長協会、富山県中学校長会、富山県小学校長会、富山県私立中学高等学校協会、富山県PTA連合会、富山県高等学校PTA連合会、富山県児童クラブ連合会、富山県ケーブルテレビ協議会 |
お問い合わせ 北日本新聞社読者局 TEL.076-445-3568 (平日9〜17時) | |
学校や公民館などに、作品パネルの貸し出しをおこなっています。事務局にお問い合わせください |